〜あなたには足りていないものなんかない〜

この情報社会、何の情報を選択して、何の情報を選択しないか?ってことが生きていく上で、とっても、とっても重要なことになっています。

それを情報リテラシーを高めるっていうらしいです😊

日々、その選択に迫られることだと思います。

その選択に迫られた時、その情報はあなたに『私は足りない』って思わせるものなのか、それとも、前向きな気持ちにさせるものなのか?

そこのところ、自分がその情報を受けた時に、『どう感じるか?』に注意を向けてみるとわかりやすいです。

純粋な『愛』から発せられた言葉をそのまま受け取った時には、『私足りない』が刺激されることはないのだけど、『不安』をあおるような言葉が発せられた時には、もちろん、それを受けた側は『不安』になりがちです。
そして、その不安から行動を起こそうとする。

『あなたは足りない』の呪いです。

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悪霊との戦い 本「Truth or Territories 」(真理か領域か)

私はクリスチャンになり、神様のもとに来れたので、もう安泰だって思ってました。
でも、そのクリスチャンの世界は本当に玉砕混合なのだ、と、クリスチャン生活も1年が過ぎた頃にやっと気が付き始めることができました。

確かに聖書では、偽教師、偽預言者についてかなり警告が書いてあります。それまでは、そのことが、どんな意味があるのか、よくわかっていなかったのでした。

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宇宙人って悪霊だったって知ってた?

宇宙人エイリアンの欺瞞

宇宙人、エイリアンの存在を信じていますか?

以前、私が聖書に導かれ、イエス・キリストは人であり、神であったと知る前、スピリチュアルなヒーリングをやっていた時、私にとって、宇宙=神、サムシンググレートであり、
宇宙には私たちを奴隷にしようとする悪い知的生命体(エイリアン)と、私たちに愛を伝え私たちの魂を引き上げようとしてくれているいい知的生命体(エイリアン)がいる、と信じていました。

宇宙は戦争状態であり、地球はまだ重い波動の惑星だから、そこに生きる私たちは、罪悪感とか、妬みとか、怒りとかのネガティブさを持っているのであり、今、地球の波動が上がっていくときに、私たちも高い波動になっていくと、愛だけの世界に移行する事ができる、と、そう信じていました。

だから、私たちがするべき事は、自分の内側のネガティブなトラウマを宇宙の崇高な愛のエネルギーで癒して自分の波動を、上げていく事なのだ、と。

。。。

イエスキリストに導かれ、聖書を知るようになり、本当の意味で霊の目が開かれて、今まで信じていた事がなんて欺瞞に満ちていたのか、って思います。

聖書の創世記6章にこう書いてあります。

『人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。』(創世記6:1〜5)

これはどういうことか、と言うと、

神の子つまり天使たちが人の娘を美しいと思って、各々選んでめとって、子供を産ませたのです。その生ませた子供がネピリムでした。そのネピリムは半人、半天使です。
神様は、雑婚を許しません。神に使える天使が人とsexする事は、神様に逆らう事なので、その堕天使たちは神の元へも帰る事ができない霊になりました。
ネピリムは死ぬと、その霊は半分人の霊、半分天使の霊なので、人が死ぬように完全に死ぬ事ができず、肉体が死んでも『悪霊』として霊が残ります。
その悪霊が今現在生きている人にも憑くし、悪魔(サタン)というトップの元で、人を神様から遠ざけるアジェンダに取り組む働きをしているのです。悪霊はどこにいるの?というと、違う領域にいるのです。だから普段は見えないのです。だけど、人を騙す意図を持って、私たちが親しみを持っていた亡くなったおばあちゃんの姿で現れたりして、私たちが信じる形でアドバイスして私たちを欺瞞に導くのです。

そして、エイリアンとか、UFOとかの存在は、違う領域(realm)に存在する『悪霊』たちがエイリアンを信じさせるアジェンダのもとにやってる騙しなのです。宇宙の違う惑星から来た崇高な存在ではないのです。

この以下の動画は、UFO研究に携わってる研究者の動画です。
無神論者であったこのUFO研究者はその出てくる事実に困惑しながらも研究を続けて、研究結果を受け止める中でクリスチャンになっています。
それはなぜか、世界で起き続けているエイリアンからの拉致を防ぐ唯一の方法があり、それが、『イエスキリストの名を呼ぶ』事だと、拉致被害者たちの証言を集める中で確固たる証拠としてわかってしまったから。
ブッタの名前でも、アッラーの名前でもなく、ソムシンググレートに祈るでもなく、『イエスキリストが唯一の名前』なのです。

クリスチャン、ってキリスト教でしょ〜〜と、『宗教』という括りで宗教信じるなんて『怪しいもの』って思う人も多いと思う。
でも、『私は無神論者です』という人でも、『何か』を信じているのです。

それは、『私が神であり、自分の人生は 自分が創り出す事ができる』というニューエイジ的なアイデアだったり、
『神社でも、お寺でも、ご利益を授けてもらうために神社の神様、ご先祖様に、手を合わせるべきだ』というアイデアだったり、
『何にでも神様は宿っている。八百万の神。キリストだけが神への道なんて、なんて狭い考えなんだ』というアイデアとか、
皆、『何か』を信じているのです。その信じている事に、どれくらいの歴史的な真実の根拠があるのでしょうか?
霊的根拠はあるのだと思います。だって、それら全てに『霊』の存在は関わっているので。
でも、それは、本当の、私たち一人一人をデザインした全知全能の創造主である『神』につながる霊なのか。

聖書は真実なのか、イエスキリストを証する聖書は『神』からのものなのか、誰か『人』が書いたものなのか、を私たちは「信じる事』の根拠として知る必要があるのです。

いかに挙げる動画は、ドイツ最高峰の科学技術の研究機関であるドイツ連邦物理学・科学技術研究所において、教授兼所長を務めていた経歴を持つ一流の科学者ウェルナー・ギット博士によるレクチャーです。

聖書で言ってることは
○天国と地獄
○復活
○永遠の裁き
聖書は『人が書いたものなのか』
それとも、
『神が書いたものなのか』
もし、人が書いたものなら、上のことは単なる人間の空想の産物ということになる。
でも、もし、聖書が創造主(神)から与えられたものなら、、、
○天国と地獄は存在するということ
○永遠の裁きがあるということ
○私たちは永遠の存在だということ
じゃあ、どうすれば、聖書が真実だとわかるのか?
それを、
1、人の生き方から
2、科学から
3、預言から
証明しています。

『引き寄せ』の嘘

聖書的な観点から、巷で言われているスピリチュアル情報の真実を紹介しています。


今回は「引き寄せ」。。。これは、今でも、小耳に挟むと複雑な思いがする言葉です。
なぜなら、それが意味することをきちんと理解していなかった過去があるから。


イエスの元に来るまで、自分は引き寄せたいものを”なんでも”引き寄せていると信じていました。
自分の人生は自分に向き合い、自分の中の純度を上げていけば、自分が思うように”なんでも”クリエイトできるんだ、と。

実際、叶ったこともいくつもありました。
でもね、その間、叶わなかったこともいくつもあるのです。
ただ、叶った事に自分のインパクトがあって、その事が自分の中で強調されたんだって事が、目が覚めた今はわかります。
結局、叶ったことは、私の真っ直ぐな思いを神様が見てくださって、叶ったってことだとわかりました。つまり、神様が叶えようと思ってくださった事が叶っているのです。

なぜ、引き寄せの法則は叶う事があるのか?

1、その『引き寄せた成功話』は、自己改善や、ポジティブシンキングの自然な副産物なだけな場合があります。

誰でも、自己啓発のアイデアで自己改革を測ったり、ポジティブに物事を捉えようとし始めたら、良い思考から、良い行動が生まれるので、『良い事』に繋がります。つまり、それは引き寄せでもなんでもなくて、自分を改善した結果なだけなのです。私が伝えているメンタルビューティーは、つまりは、自分改善メソッドで、引き寄せという言葉を使っているけど、要は「物事をどう捉えるのか、それによって、自分の行動は変わってくるよね、そしたら、結果は変わるよね!」という事を手を変え品を変えお伝えしています。

なぜなら、そここそが、機能不全家族(父子、母子関係)で育った者にとって、色々なトラウマや、植え込まれた考えで、ねじれた心になってしまって、現実、そして、自分の体調までが悪循環に陥ってしまうことだからです。


2、その『引き寄せた成功話』は単に偶然なだけだったりします。

良いことも起こるし、悪いことも起こる。
世界には善意もあるけど悪意もあるので、私たちは両方が起こる世界に住んでいます。引き寄せの瞑想をした直後に良い事が起こったとしても、それは、偶然だったりするかもしれません。
でも、私たちが引き寄せを盲信していたら、何かにつけ、「私がそれを望んだから引き寄せた!!!」と自分の『力』を過信して、喜ぶ事になってしまいます。

3、その『引き寄せた成功話』は選択的知覚によるものだったりします。

選択的知覚とは、さまざまな情報の中から、信念や予期に一致するものだけに気づき、記憶し、解釈することを言います。
これも、上記の2に繋がる事なのだけど、私たちは見たいものを見ているんです。だから、自分が信じている事に一致するものに脳が気づく、そして、ああ、引き寄せが起こった、と解釈する、という事が起こります。
『それで幸せなら信じてても良いじゃん〜!』と思うかもしれません。その一時の幸せで済むなら害はないのだけど、上に書いたように、『自分の力』と盲信してしまうことは、最終的にそのプライドを潰される出来事に繋がったりします。そう、『自分には引き寄せる力がある!!』そのように思うことは危険でしかありません。

4、その『引き寄せた成功話』は悪霊が自然界の中で操作している結果として起こっている事だったら?

『引き寄せ』は偶像崇拝なのです。(後ほど説明します)。偶像崇拝の背後にいるのは、『悪霊』です。あなたに力があって、何かを『引き寄せ』る力がある、と、信じることは、どんどん創造主から離れていく事に繋がります。

自分がその方向になってしまっている、と気づいたら、もしかしたら、あなたにラッキーな現実を引き寄せているのは『悪霊』かもしれません。

実際に悪霊の働きで良い引き寄せ、悪い引き寄せは起こります。でも、それは、神様がそれを許している時のみ。そのことも、聖書のヨブ記には書いてあります。
ラッキーな引き寄せがバンバン起こり、『私には力がある』と天狗になってしまった人は、その背後にいるのが、悪霊なのです。なぜなら、神様からの霊(聖霊)の導きで生きている時、人は『天狗』にはなれないから。聖霊の導きで生きている時、わたしたちは『整えられた者』になっていくからです。


引き寄せを信じているヨガの先生Aが、自分の新しいヨガスタジオで一緒に働いてくれる人を探している。
ある時、車でそのヨガスタジオに向かうため隣町を走っている時に、その街に住む古い友達、Tちゃんを思い出します。
元気にしているかな〜なんて思ってたら、急にグリーンスムージーが飲みたくなり、その街のグリーンスムージー屋さんに立ち寄る事に。
店に入ってみると、びっくり、Tちゃんがカウンターでスムージーを作ってるじゃないですか!
Tちゃんと話してみて、またまたびっくり、なんとTちゃんはヨガインストラクターの資格を取ったばかりで、仕事を探しているという事です。
こういう訳で、Tちゃんを自分のヨガスタジオのインストラクターとして迎える事にします。Tちゃんも大喜び。私、引き寄せを勉強してて、毎日、素敵なヨガスタジオで教えているイメージをしていたの!と。

。。。このシチュエーション、引き寄せのあるあるですよね。笑


これって、誰がやっているのだと思いますか?神様なのだと思いますか?

自分が自分や神様にまっすぐに生きている中で、引き寄せが起こることもあります。
でも、これって、悪霊が裏で操作している事かもしれません。

これは、誰が操作していたことなのか、それは、その人がどのような『実』をつけているか、で判断するしかないでしょう。


お金、名誉、そこへの執着がつよくなって、天狗になっていないか?


それとも、

神様の前で自分が無力だということをわかってて、謙虚で誠実な頑張りの姿勢が見えるのか?

それって、一見、外からはわかりにくい事かもしれませんね。

でも、自分の心に手を当ててみたら、自分がどっちで生きているのかって、自分ではわかるのではないでしょうか。

私は、悪霊からの引き寄せならば、起こらないほうがいい!!!と断固として思います。だって、それは、最終的に『破壊』につながる道だからです。

 

 A、引き寄せの法則は聖書的な一神教の考えと『祈りは聞き入れられる』という事に反する

神は、人の祈りに対して、ポシティブにも、ネガティブにも反応されるお方です。神には超越的な意思があり、その意思によってその反応をされるのです。

超越的なというのは、神は、場所と時間を超えて見る事ができるお方だから。

神には、意思があり、好き、嫌いなどの感情があるお方なので、私たちは神を喜ばすことも、悲しがらせることもできるのです。

神というお方は、引き寄せの法則で言われているように『操作できるメカニズム』なのではなくて、神というお方は人と同じで、親が子供の欲しいものにダメだというように、ダメだよという事ができるお方なのです。

実際聖書には、神はどのような祈りや願いに応えられないか、という事が書いてありますが、それらは、一般的な『引き寄せの法則』が言っていることとに相反します。

神が願いを聞き入れない場合

ー神のモラルのある意思に率直に反している悔い改めていない罪人の願いを聞き入れない
神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。(ヨハネ9:31)
主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。(1ペテロ3:12)
わたしが心に悪事を見ているなら 主は聞いてくださらないでしょう。(詩篇66:18)

ー神がなさろうとしている事に反する祈りは聞き入れない
何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。(1ヨハネ5:14-15)

ー間違えた、自己中心的な動機での祈りは聞き入れない
願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブ4:3)

ー自分の妻に対しての罪の悔い改めがなく尊敬していない者の祈りは聞き入れない
同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。(1ペトロ3:7)

ー人からの注意を引こうとか、人に興味を持ってもらうために行う祈りは聞き入れない
『だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 』(マタイ6:5)

ーキリストのもとに生まれ直してない者の祈りは聞き入れない
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。(1テモテ 2:5)
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)
あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。(コロサイ1:21)

 

一般的な『引き寄せの法則』では、祈りが聞き入れられる『メカニズム』を教えています。
神は生きている神であって、意思があるので、願いを叶える『メカニズム』ではないのです。

 B、神の約束は新約聖書のなかでイエスキリストの元に来たものにだけ適応されると書いてあります

引き寄せでよく使われる聖句「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイ7:7)これは、キリストの元にきた人に言われている事です。聖書は、その一文を抜き取って利用するためのものではなく、全体を通して、神が私達に伝えたいメッセージを知るためのものです。

ここの箇所はキリストを信じている者に言っていることです。

信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。(マタイ21:22)

イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。』(マルコ9:23)

イエスを信じ、彼の能力を信じるものには、という意味です。
私たちはイエスの中に居ないといけないのです。だから、イエスキリストを信じていない人には、これらの聖句は適用されないので、一般的な『引き寄せの法則』が聖書を引用する事自体が間違っている事なのです。

なぜなら、引き寄せを信じているノンビリーバー(イエスを信じていない人)には、この聖句は適用されないから。

 C、聖書は引き寄せの法則は実際には『罪』として分類している。

引き寄せというメカニズムを『信じる』事になり、つまり、私たち自身を作ったクリエイターである神そのものを信じてはいないので、引き寄せを信じているという事は神の意思に反した事をしている事になります。

神の意思は、神そのものを信じる事だからです。
また、どのように、『引き寄せの法則』を練習するかによって、他の罪も招き入れる事になるので危険な部分があります。
時には、妬みから何かを引き寄せたくなったり、自己満足感のために何かの引き寄せを願う事はそれそのものが罪な事なのです。

そして、『引き寄せの法則』が聖書で禁止している『偶像崇拝』や『魔術』に当たる事になる危険性があるので、注意しなけれななりません

なぜなら、引き寄せの法則を活用する時に、私たちの祈りを叶えるのは『宇宙』(ユニバース)でなり、エネルギーとしての存在である、という認識は、聖書でいう私たちを創造した創造主の神が不在だから。

宇宙は神が作った被造物です。

神が作った被造物を崇める事が偶像崇拝と言われている事で、神が最も忌み嫌う事です。

そして、聖書の中では、神のいろいろな呼び方が書いてありますが、一度も神をユニバース(宇宙)と呼んだ事はありません。

死も生も舌の力に支配される。
舌を愛する者はその実りを食らう。(箴言18:21)

この聖句も引き寄せで引用される事があるもののようですが、この聖句の意味は、私たちの発言する事が何かを創り出すパワーがあるという事を言っているのではなく、私たちの発言する事が他の誰かにとって、
良い実をつける事にもなるし、悪い実をつける事にもなるという事を言っているのです
自分の発言によって、人に滋養を与えることもできるし、人をがっかりさせることもできるという意味です。

癒しをもたらす舌は命の木。
よこしまな舌は気力を砕く。(箴言15:4)

この言葉も私たちの言葉には他の人の心と考えに影響を及ぼすという事を言っているのです。

教えに耳をそむけて聞こうとしない者は
その祈りも忌むべきものと見なされる。
(箴言28:9)

こうもはっきりと、神の教えに耳を傾けないものは、その祈りは忌むべきものと見なされると書いてるのです。

『ニューエイジの引き寄せの教え』では
神はあらゆる所に存在する(汎神論)を展開していて、それらはメカニズムであり、私たちがコントロールできる(自分で自分の世界を自分好みに創造できる)ものとしています。

その引き寄せのメカニズムそのものは実は全くの『嘘』でそんな『法則』はないのだし、それらにハマることで、
私たちが本当の神のもとで平安と恵みを与えられて生きる道から大きく逸れて迷子になったままになってしまうのです。(そして、それが悪霊たちの目的です)

実際、『引き寄せ』で本当の幸せは手に入るのか?

日本にも『引き寄せ』で一時ブレイクしてた有名なハッピーーちゃんって居たじゃないですか?

ご存知の方もいらっしゃると思います。

以前の私は彼女の話も一生懸命聴いていました。本も買った事がありました。
彼女が崇めていたエイブラハムと名乗る宇宙存在(エスターとヒックスがチャネリングしてた)は、本当に素晴らしい愛の存在なのだと、私も信じていました。

宇宙人の存在もその頃の私は信じていたので、彼らが私たちに英知を与えて、私たちの魂の次元をあげようとしてくれているんだ、って信じていました。(宇宙人の嘘についてはこちら

『自分のフィーリングに正直に、自分が自分を大切にしていたら、世界も自分を大切にする。
だから自分が自分の欲求をとことん叶えてあげる。自分が神になる。』

ハッピーちゃんはそれらのことが正しい事だって教えてて、その頃の私も、それが正しい事だと信じていました。
実際、ハッピーちゃんは、その生き方で自分がやりたい事で成功するという『結果』を出しているように見えていました。

クリスチャンになった後、それらの嘘が見えるようになった後、壱岐島にいく機会がありました。

壱岐島ではたくさんの祈りをした旅だったのですが、ミッションの終わりあたりに、宿のおばちゃんが紹介してくれた温泉に行くり事になったのです。

そこは古い施設だけど、湯質の良い温泉でした。温泉に入ると、一人のおばちゃんが入っていました。
『どこからきたの〜何しにきたの〜?』と、色々話しかけてくださったので、色々話ししてて、
『クリスチャンなんです〜』なんて話してたら、

『あら、もしかして、あれなの?ハッピー?』ってそのおばちゃんが聞くのです。

『ええ、ハッピーですよ〜私幸せです!。』
って答えたのだけど、どうも、話が噛み合わない。。

よく聞くと、このおばちゃんは、あの、『ハッピーちゃん』のことを言ってるんだ、という事に気が付きました。

確かに、ハッピーちゃんは壱岐島に慕ってる女将さんがいるとかで、何度も壱岐島に行ってたな、って思い出します。
そのおばちゃんに、話を聞くと、ハッピーちゃんが開催するイベントで、その温泉の2階部分を大勢のイベント客と共に使うという事で、ハッピーちゃんはブッキングしてたけど、それが台風だか何かで、突然ドタキャンしてきて、温泉としては、大迷惑を被ったとの話。
島では、迷惑を被った事で、ハッピーちゃんのことを
よく思ってない人が多いんだって話でした。。。

なぜ私がその話をその場所で聞く機会を与えられたのか。。。

以前の私は、まさに自分中心の『自分のフィーリングで決める』ということをしていたことで、
自分が成功しているように見えても、
その裏には、迷惑をする人もいたのだろうな、ということを改めて知るためだったのだって思います。

『自分』だけが幸せで、『幸せ』と思えるのなら、それは悪霊の導きのまま進む事になるのだって思います。自分が世界をクリエイトできる事が大事なのではないのです。その誘惑はエデンの園でサタンが蛇に化けてエバを誘惑した『神のようになれる』という誘惑と同じです。

本当の愛って神であるイエスが人として受肉して示した愛が最高の愛なのだって思います。それは、人を神のもとに救うために、人の罪を背負って十字架にかかって死ぬというイエスのそして神の愛です。それは、到底、人間である私には及びもつかない愛です。
久しぶりに、ハッピーちゃんの発信を見てみました。とても大きな活動をされている様子。だけど、やっぱり、、、、

MOMENT
今この瞬間
GOD


MOMED

WE ARE MOMED!!!!
わたしたちは今この瞬間、神である

こんなふうに、『自分=神』という錯覚を起こさせるもの。その後ろには何が糸を引いているのか、聖書を読んでいたら、目が覚めることであっても、サタンの誘惑はとっても巧妙なので、現実世界の中の価値観では、気がつくのはとてもむずかしい事なのです。
でも、私=神として、突き進んでいくことを神様は最も嫌います。

また、引き寄せの法則が広まるきっかけとなった本、『ザ シークレット』の教えの指導者の ジェームス アーサー レイという方は、
断食や蒸気サウナを行う高額のスピリチュアルイベントを主催して3人死亡し、逮捕されています。
そのイベントは1週間100万円の参加費だったということです。。。

私が、そのニューエイジ的スピリチュアルの嘘に騙されて、信じ切ってしまっていたという過去があるので、
今現在その中にハマっている人に対して、ものすごく歯痒い思いがします。
一般的に言われている『引き寄せの法則』それは、根底に流れているものはとても危険な甘い罠なのかもしれません。

たった一人にでも良いから、今のニューエイジのスピリチュアルから目を覚まして、本当の神様に繋がれる方がいたら良いな、という思いでこのブログの記事を書いています。

だって、、、

一般的に言われている引き寄せは『嘘』なのです。

本当の神様につながって、内側から聖霊に満たされて、神の前で正しい人になっていき、そして、祈る、という事で、その祈りは神の意思によって与えられることもある、(神の意思で与えられないこともある)というのが聖書の教えです。

なぜ神の前に正しい人になっても、祈りに関して答えられない事があるのか、
それは、神が超越した方だから、私たちには理解できないこともあるのです。
でも、神は親が子供のために最善を考えるように、超越した視点から、
私たちへの最善をわかってそのことをしてくださる方だという絶対的な信頼を持つ事ができます。

今回の記事を書くにあたって、以前紹介したことのあるSteven Bancarzの『引き寄せを暴く』の動画(こちら)を参考にしています。

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巷の引き寄せではなく、本当の平安をもって自分の人生をチャレンジしていくために提供しています。これは、機能不全家族で育って、自己価値を持てなくて、色々な思考、感情に苦しんでいる方に向けて作ったプログラムです。
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バプテスマを受け、いよいよイエスキリストの弟子になりました。

夏至である6/21、水と聖霊のバプテスマを受け、イエスキリストの弟子として生まれ変わりました。

 

(この記事、最初のタイトルは、水と聖霊のバプテスマを受けました」ってやつでしたが、聖霊のバプテスマなんて、実は聖書的なことではなかった。その後、聖霊のバプテスマを信じてしまっていたことを神様にごめんなさいしたのでした。

実はずっと以前、16年くらい前に、前の夫とアメリカに移住する前に、
大の仲良しのクリスチャンになった友人からアメリカに移り住む前に、ぜひ!!受けた方がいい、と洗礼を勧められて、水のバプテスマを受けたことがありました。
なので、その時から私はクリスチャンだったという言い方もできるのかもしれません。

でも、アメリカでは、結局イエスキリストの道には行かず、色々苦しい思いもしたのちに、ヒーリングに出会い、そこから10年ヒーリングの世界にどっぷりと居たのでした。

この長崎に3月末に引越しをしてきてから、思っても見ないような色々な流れ、心境の変化、出会いから、
『聖書って単なる物語なのではなく、実は本当のことが書いてあるんじゃないか?』と強烈に思うようになりました。

世界で一番古いスピリチュアル本であって、世界で一番売れている本なのに、実は私は洗礼も受けたことがあるのに、聖書って読んだことない。。。
聖書について知りたい、何が書いてあるのか知りたい!!っていう、なんとも、強い欲求が湧いてきたのでした。

そこから、ものすごく聖書を読むようになり、意味を調べたり、して行くうちに、、、

本当に、世界への見え方がほぼ180ど変わってしまいました。

今までかけて居た色眼鏡が、どんどんと取れて行く経験をしました。
今、世の中で起こっていることも、全て、聖書のシナリオ通りなのだ、ということも知って、あまりにも、その通りなので、恐ろしくなりました。

そして、聖書って過去についても、実際に起こった本当のことが書いてあるだけではなく、未来についても起こることが書いてあったのだ!と聖書に驚き、すごさがわかった頃、
私は、こんなに、聖書に惹かれ、イエスキリストに惹かれているけど、キリスト教の教会に行きたいわけではなく、、、私はどこに向かおうとしているんだろう?と思っていた矢先、

極め付けに出会ったTRLというクリスチャングループの映画でした。

そこから、そのリーダーであるトーベンさんのレクチャーを見たり、聞いたりして、そのパワフルさに、これがやりたいんだ、という気持ちになりました。(→今、時間が立ち、さらに聖書を勉強する中で、今は、トーベンさんたちの働きが聖書通りなのか、という点について、この当時とは違う考えに行き着き、違う方向に向くようになりました。

そこから、この活動をしている人をTLRのサイトで探し始めました。そしたら、なんと、なんと、同じ長崎に、おまけに自宅から3040分で行ける距離に、この活動されているクリスチャンのご夫婦がいらっしゃることを知りました。
もう、驚異的な流れでした。

そして、そして、いよいよ、6月21日に、偶然にも夏至という日に

『悔い改める』
『水によるバプテスマ』
『聖霊によるバプテスマ』

という聖書通りのバプテスマを受け、今まで関わってきた『神』の仮面を被った『悪魔』という霊の存在を私から追い出し、聖霊に満たされて、異言(sppeaking tongue)を話すことができました。

(→今は、聖霊によるバプテスマというものは、聖書的ではないこと。悪霊追い出しも、今のクリスチャンでそれをやっているミニストリーはカリスマ派と言われるもので、聖書の土台からずれていること、異言も私がその時話しだした異言は聖書で言われた異言じゃないことを理解し、その異言を使うことをやめました。)

そこまで激しくないけど、悪霊からの解放と聖霊が入ってきて異言を話し出す映像なので、不快に感じる人がいるかもなので、みたい人だけ見てみてください。

トーベンさんの動画で聖書通りのバプテスマを受けたら何が起こるのか?は見ていたけど、実際に、自分の中から実際に、悪霊が出るって、なんだかとても不思議でした。水の中に全身入った後、お腹がグッと苦しくなり、こみ上げてくるものがあり、嗚咽した感じでした。
そして、『聖霊降りてきてください』という祈りの後に、自分が実際に異言を話し出したことが、自分でも不思議でした。
それ以降は、異言で祈ろうと思ったら異言が出てきます。(今は、クリスチャン世界がものすごく玉砕混合だと知り、偏った教えは自分で聖書を1年間狂ったように勉強しつづけ検証して、識別していくことに。悪霊追い出しも、ココには書かないけど、聖書的ではないこと、異言というものも、上記の理由で辞めました。

なぜ、悪霊がこうして出てくるか、というと、私は悪霊がとりなしていることに関わっていたからです。
唯一の神様の聖霊とは違う霊に繋がってしていたことがあったから、なのです。(この時、悪霊が出てきた、と感じる「体験」が起こったのだけど、それが聖書どうりだったのか、というと、そうではなく、このときの祈りで悪霊に踊らされて、「悪霊が出てきた」と思えるような経験が起こったんだろうな、と今は考えています。

実際、聖書でも、偽物の『神』と名乗った悪霊に注意しなさい、と、散々言ってます。

厄介なのは、それらの偽神であっても、この地上においては、一見、癒しを起こすこともできるし、予言を伝えることもできるのです。

聖書では、イエスキリストからしか本当の神様には繋がれない、と書いてあります。

私は、最初は、その言葉に全然納得がいかなかった。
でも、わかったことには、
それはなぜかというと、こうやって、なんでもありになってしまうからなんだ、ということがわかりました。
なんでもありだと、私たちは、『間違いはない』って思いがち。
そして、
『ああ、癒される感じがする〜』って、『心地よい』を頼りに、それがいいことだと間違った方向を信じてしまい、私たちは迷子になってしまうんだ、と、わかったのです。

本当の神様は、偉大な愛の方であり、同時に、正しいことと、間違っていることの区別が完璧にあるお方なのだということがわかりました。

喩えて言えば、
凶悪婦女暴行少女誘拐殺人犯って、私たち、普通に許せない!!!!!って嫌悪感しか起こらないと思う。
絶絶対間違っている!!!!!!ってね。
で、神様がいう正しくないこと、というのは、大なり、小なりあったとしても、神様にとって、それは『絶対間違っている』ってことであって、グレーとかないのです。

ちょっと自分の都合がいいように人に嘘をつくとか、私たちがグレーにすること、
それは神様にとっては受け入れがたい黒なのです。
神様にとって白か黒しかなのです。

でも、どんな酷い行いをした人でも、神様は、その人を愛して止まないのです。
我が子が凶悪犯になったから、と言って、我が子を愛することをやめれる親がいないのと同じで、神様は私たちの親なのですね。
神様にとって、一人一人が我が子なのです。髪の毛の本数も知ってるくらい熟知しているのです。
そして、
そのひどいことをした人も、ただ、アダムとエバが犯した罪を引き継いでしまってるだけであって、人間が罪を犯す性質を持ってしまっている結果だってことをわかっているから。
だから、
神様は、自分と離れてしまったその人をどうにか自分の愛の元に戻したいと切実に切望しています。
でも、その人が犯してしまっている罪が邪魔になって、神様と共に歩めないのです。だって、神様にとって、罪(闇)は絶対に悪だから、光である神様が交わりたくても交われないのです。
だから、神様が苦肉の策としてやったのが『神様の子供としてイエスキリストをこの世に送ること』でした。
そして、イエスキリストに、人間の罪を全部被せて死なせるということでした。

一人の人から、罪がこの地上の私たちに入ったから、一人の人(イエスキリスト)で罪を取り除くということをするために。
神様は聖霊を使って、聖書をイエスの弟子たちに書かせました。
私は、この一手を打ったから、あとは、あなた達次第だよ、あなたたちは、この地上では『自由意志』があるから、私を選ばない生き方ももちろん選べるけど、あなたたちが私を選びたい時には、いつだって私は手を差し伸べて待っているのだよ。と

完全にほんとうの神の元に生まれ変わることを経験しました。
(それは、想像していたのとは、全然違う体験でした。)(→この時、わたしは、TLRの動画をかなり見てたので、洗礼って、もっと劇的な内的ななにかがあるものかって思ってたんです。でも、意外と、静かな内面で。。動画では泣いたり、とかが有るけど、内面的には特別な感覚が有るわけではなかった。→そして、それで良かったのです。だって、聖化って、聖書的には劇的に起こることではなくて、ゆっくりゆっくり起こっていくものなので。)

夫と子供も見守ってくれてました。
(本当にありがたかった!)

。。。。。。。。

今後の私について:

そういうわけで、今まで10年やってきた、IH(インテグレートヒーリング)を卒業します。
個人的に、継続して受けてくださっていた方には、お一人お一人、IHを辞める旨をお伝えしました。
キネシオロジー全般のクラス(IH基礎クラス、自分メンテクラスなど)は今後いたしません。

そして、メンタルビューティーはリニューさせた形で最古のスピリチュアル本である聖書の要素もしっかり入れながら、
深掘りして伝えていきたいなと思っています!

やはり、人生の迷子になっている方がたくさんいらしゃるって思うのです。
いきなり、神様に従いなさい!って言われても、難しいと思うので、とにかくいろいろなことで苦しい、という方が、自分に向き合い、そして、その後、神様に向き合えるようになるための架け橋になったらいいな、と思っています。

ヨガもやった、瞑想もやった、いろいろなヒーリングもやってみた、でも、まだ何か足りない、苦しい、子供にイラつく、、、その苦しみに陥っている人が本当に多いって思っています。
それがなぜなのか、をお伝えしていきたいって思っています。

私自身、メンタルビューティーで『自分を見つめる』ということをストイックなまでにやって、自分の底にある醜さみたいなものに直面したからこそ、神様に出会う準備が私の中で整ったのだと思っています。

CS60、ホリスティックヘルスカウンセリングなども継続していきます。(分子栄養学の学びも継続中です)

そして、『イエスの弟子としての活動』を始めていきます!!!
☑️ 聖書を一緒に読もうの会などもできたらいいな、と思っています。(→バイブルスタディーやってます〜♪ご興味ある方はおしらせください。)
☑️ 聖書って本当のこと書いてあるの?聖書に興味あるけど、なんかよくわからない、という方に聖書に書いてある真実をお伝えしています。
(お一人様1度のみ)

さて、さて、
自分の人生を振り返り、『私は足りない』という思いを打ち消すように動いてきたんだな、ってよくわかります。
そりゃ、本当の唯一の神様と分離して生きていたら、
心に本当の平安なんて来るわけがなかったんだよね、と、今ではよくわかります。

今は、私の代わりに本当にイエスキリストが十字架を背負ったんだ、ってことを、理解しました。

やっと、神様に導きのなかを一緒に歩むという道に戻って、心に広がる平安を経験しています。

「自分の可能性」を信じて、
それでお金、恋人、理想の生活を引き寄せる
『自分』を見つめる。
それが全部引き寄せられたところで、自分を見つめた時に、心の底に虚無感が存在し続けているのだ、
ということを知ってしまったから。
『自分』の限界を知った瞬間でした。
それって、私が私の可能性を拠り所に生きることの限界なんだな、って体験してみてやっとわかったのです。

そして、本当の神様から分離してしまっているから、ネガティブな感情、思考が沸き起こり続けるのだ、ってわかったのです。「悪魔の囁き」それは、聖書でいうサタンの仕業です。それらと決別をはかるには、神様としっかり結びつくこと、神様との仲を回復する必要があるのです。

人に気を使って生きづらさを感じている人は、『自分の心地よさを追求する』『自分がどうしたいのかをちゃんと自分に聞く』をしっかりやる時期も大事です。でも、その次には、神様は私にどんな計画があって、私をこの世に生まれさせたのだろう?って、神様が成し遂げたい計画の中に自分という存在はいるんだなあ、と気がつき、
自分という存在を『自分』からそもそものデザイナーである『神』に明け渡してほしいって思っています。
それが、今、求められていることなんだと思っています。

自分で物事をコントロールするのではなく、神様の導きを受け入れて、その導きで、自分の動きを決める生き方です。
神様と二人三脚で人生をあゆむという歩み方。
そこには、『自分の可能性』を超えた、すべてのものを創造した万能の神様の可能性が広がっているのだとわかってきます。

今後は、私に宿っている聖霊様の導きに遵いながら、それが神様の言葉とあっているのか、聖書を確認しながら進んで行こうと思っています。

夫は長崎のお茶は平和へのお茶だって、その活動をしようとしていて、
私は、イエスキリストがもたらす平和を広めようとしているのだって思います。

長崎という原爆が落とされたところであり、そして、聖書が最初に伝えられたところだから、『平和』というキーワードに、とにかくパワフルな場所に導かれてきたのだと思います。