筋反射テスト、キネシオロジーは占いであり、悪魔的であり、危険である11の理由

筋反射テスト、キネシオロジーは占いであり、悪魔的であり、危険である11の理由

実を結ばない闇の技に加わらないでむしろそれを指摘してやりなさい』(エペソ5:11)

筋反射テスト、キネシオロジーはアレルギーを調べたり、感情を調べたり、潜在意識にある情報を調べたりするツールだと信じられて、エネルギー医学の分野、ヒーリングの分野で広く活用されています。

服用すべきサプリメントの種類、その数、いつ取るのが有効なのか、なんでも筋反射テストで体に聞く事ができます。一部の歯科医は歯に入れる歯科用充填剤を何にするべきか、筋反射テストで調べます。
また、言葉が話せない動物を相手にする獣医でも活用されています。

最近では、それ用の機械も開発され、それにあなたを繋ぐと、あなたの電気的信号を機械が読み取ると、説明されます。それは、筋反射テストと同じなのだけど、機械であるため、とてもハイテクに見えるだけなのです。
この筋反射テストはある信念に基づいて、成り立っています。
その信念とは、
体は全てを知っていて、私たちがするべきことは、ただ体に聞く事なのだ、という信念です。

筋反射テストを知らない人に軽く説明すると、
プラクティショナーはその人に何か質問に対して、その時の筋肉の強さを調べます。
『このビタミンは体に合う』と言って、その時の筋肉の強さを調べるのです。そうすると、質問によって、筋肉は強かったり、弱かったりします。筋肉が強くいられるということは、その質問に対してポジティブな反応、筋肉が弱くなるということは質問に対してネガティブな反応であるとみなします。
また、それらが発展して、イエス、ノーを体の反応で見ることもできます。
この仕組みで、ありとあらゆることを質問し、体から答えをもらう事ができるというものです。
また、電話や、テレビ電話などを通して、遠隔でその人の状態を見ることもできます。実際に目の前にその人がいなくても。

私が初めてキネシロジーについて学んだのは、2010年春、NYででした。
3日間の講習会に行き、キネシオロジーというものが人の内面について、どこまでも解き明かせるのだという可能性を知り、こんなものが世の中にあるなんて!!!と驚きました。
その後、その年の冬にインテグレートヒーリング(Integrated Healing)というキネシオロジーを使ったヒーリングを本格的に学ぶことにして、2週間のコースに行きました。

その時の感想は、『魔法を習ってしまった!!!!』というものでした。

その頃の私は、聖書も知らなかったし、霊を見分ける力も持っていなかったので、この魔力にすっかり魅了されてしまったという訳です。

でも、私が思った『魔法を習った』という思いは、その文字通り、当たっていたわけです。

これは、私たちの体に備わっている仕組みでもなんでもなく、キネシオロジーと言われる筋反射テストは体を使った『こっくりさん』(悪霊の占い)なのです。

このことに目が覚めるのは、2020年、聖書に惹かれ始めて、聖書を読むようになってから、
つまり、私は、10年間も、神様が禁じている『魔術』に関わっていたのでした。

聖書を知り初めて、もしかしたら、私がやっている筋反射テストは聖書的にやってはいけないことなんじゃないだろうか???
という苦しい気持ちが上がってきました。

それは、誰から教えられたわけでもないのに、聖霊の導きで教えられたのです。
そこから、自ら確信を得るため、キネシオロジーがどうして生まれたのか、について調べ、
その起源が悪魔を崇拝する事が起源で始まった『ニューエイジ』を信じていたプラクティショナーたちからキネシオロジーも始まったのだ、
という事が分かったのです。

その時点では、筋反射テストがなぜダメなのか、を今ほど明確に言えませんでした。

ただ、ダメな気がする。
神様が喜んでいないってわかる。
それだけでした。

でも、もうその時点から、筋反射テストに関わることはできないと思い、筋反射テストを使ったヒーリング、クラスなど一切止めることにしたのでした。

それから、1年経って、
『実を結ばない闇の技に加わらないでむしろそれを指摘してやりなさい(エペソ5:11)』
という聖書の言葉のように、私も、闇の技について指摘しなければならない、という思いが強くなってきました。

そのような訳で、今回、自分がいた世界信じ込んでいたキネシオロジーの世界が実は悪霊に関わる占いであり、とても危険なものなのだ、という理由を同じく筋反射テストをやっていたMarciさんの動画を参考にしてブログ記事にしたいと思います。https://youtu.be/Bs4tg8sJUXg

キネシオロジー(筋反射テスト)は占いである理由

1 体に関する秘められた知識を表す

神は、体に関する秘められた知識を手に入れる方法として、2つの領域を与えています。それは、物質界における科学という領域。もう一つは、神からの直接的な啓示という領域。そして、3つ目の領域、『霊』の領域は神からアクセスが制限されているのです。
この3つ目の『霊』の領域というのに、占いは関わってきます。
占いの定義はなんでしょう。
占い(うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断することや、その方法をいう。卜占(ぼくせん)や占卜(せんぼく)ともいう。(by Wiki)

つまり、直接観察できないもの(秘められた事)を手に入れる方法が占いという方法なのです。

そして、聖書は、明確に占いを禁止しています。

『また占いをしてはならない、魔法を行ってはならない。。。。。。。。あなたの娘に遊女のわざをさせて、これを汚してはならない。これはみだらな事が国に行われ、悪事が地に満ちないためである。』(レビ記19:26〜29)

『あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、 呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである』(申命記18:10〜12)

『またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占およびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた』(列王紀 下 21:6)

つまり、秘められた事を神以外のことで知ろうとする事が占いなのです。

最初に、エデンの園でエバが蛇から唆されて、知恵の木から実をたべることで秘められた知恵を得ようとしました。
『さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』(創世記3:1〜5)

『ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。』
(2コリント11:3〜4)

『こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。』(2コリント11:13〜15)

騙しの霊は神から選ばれたものでさえも、道をそらせるのです。
『しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。』(1テモテ 4:1)

『にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(1テモテ 24:24)

聖書的な健康とヒーリングの原理は、悪霊が私たちの健康に時に害を及ぼすので、聖書の御言葉が私たちの武器になるということなのです。

2、汎神論的な宗教観が『筋反射テストがなぜ有効か』の説明に内在している

汎神論とは、Pantheism Pan=all theos=God
つまり、この世界のすべてが神の現れであるとする考え方

キネシオロジーという名前は、運動学の分野から来たものです。
それだけ聞くと、運動療法などのように、科学的なものかのように勘違いします。

でも、筋反射テストをするキネシオロジーは、科学的なものからではなく、『先天的知性』の考え方が基本になっています。
それは何かというと、『私たちは、私たちの神経系を通して宇宙的な知性(神)とコネクトできる』とする考え方です。
つまり、私たちの体は、神を表す知性を持っていると考えるのです。

キネシオロジーはそもそも、『アプライドキネシオロジー』というものから始まり、今現在何百にも枝分かれして、世界中で行われているのですが、そもそも、そのアプライドキネシオロジーの創始者はジョージグットハート博士でした。

グットハート博士はpsychic Philosopy(超能力心理学)東洋の慣しをベースとした気や経絡の考えを使った、鍼灸、そして、カイロプラクティックの理論である、体は神(全知全能)であるとする考え、全てを混ぜて、アプライドキネシオロジーを始めたのです。

キネシオロジーのプラクティショナーのところに行った時、キネシオロジーとは、何なのか?という説明を宗教とは関係ないように話すプラクティショナーがほとんどです。

『体が神なので、私たちがすべきことは、その全知全能の体にどうやったら癒されるのかを聞いて、それをすればいいだけなのです』と神と言う言葉を使って説明する代わりに、

『解明されきっていない、深い潜在意識は私たちが知るべき答えを持っているのです。私たちが、その答えを筋反射によって発見すれば、私たちは癒される事ができます。』とか、最近では、量子物理学的な説明がなされる事もあるのです。

そのような説明がなされたら、もう、もはや、筋反射テストが何なのか、誰も分りはしません。
なので、筋反射テストが、知的で学術的なものであるかのように聞こえる説明をすることは簡単なのです。

なので、結局のところ、説明はちんぷんかんぷんだけど、『体が神である』という信念には賛同できない立場のクリスチャンの中にもこのキネシオロジーのプラクティショナーは沢山いて、その人たちは、このメソッドをクリスチャン的にして、神の名のもとにこのヒーリングをすればいいんじゃないか?と思ってやっているのです。

(このブログを書くに当たって参考にさせてもらった Heart and Mind ミニストリーのMarciさんもそのように考えて、キネシオロジーをやり続けていた一人です。また、私が関わっていたIH(インテグレートヒーリング)の創始者も、実はクリスチャンでした。。。)

世の中に横行している『エネルギー的な何か』 がある時に、クリスチャンがそれを利用しようと思って、『これは神からのものである』と、書き換えたってダメなのです。その実質が何なのか、が大切なのです。

そのエネルギーなり、パワーは真理に基づいたものなのか、という事が大切なのです。

可愛らしい子が歩いてて、その子を『私の子だと言おう』としても、その子は『私の子』ではないのです。産んだのが違う母親なのです。

3、筋反射テスト(キネシオロジー)の経験から

ヘロインなどの麻薬は毒だ、ということは、ヘロイン中毒患者から話を聞かなくても科学的なデータから理解できることです。でも、経験したものだから、語れる事があるのです。
同じように筋反射テストを経験した者だから語れる事、

Marciさんの経験:

彼女は、19年間,EV ウイルス、重金属蓄積の毒性、寄生虫などの慢性的な症状に苦しんでいました。

女性ホルモンが関係する全ての不調を抱えていました。

甲状腺の問題、線維筋痛症、ひどい貧血、椎間板ヘルニア、、、その症状のリストは追加されるばかりで、減ることはなく、彼女は食べる事もままならなくなり、絶えず痛みに苛まれていました。

クリスチャンとしても彼女は痛みが改善しないことに希望が持てなくて、絶望に襲われていました。

そんな中、昔起こったトラウマ的出来事に対して、クリスチャンのカウンセリングに通うことにします。
そこで、彼女のトラウマ的出来事に対する神の愛を示した聖書の言葉を深く知るようになり、聖書によって深く癒されるという経験をします。
でも、彼女が聖書を知っていくベビークリスチャンの中で、サタンの罠が襲いかかってきます。

図書館で調べ物をしている時に、一冊の本を目にします。そん本のタイトルは健康と癒しを約束するようなものでした。
『あら、これ必要だわ!』と彼女は思い、その本を手に取って読み始めます。
中には、彼女が聞いた事もない事が書いてありました。

全ての病気、症状は、体のアレルギーがその原因になっている。気や経絡と関係する東洋の英知をもとにした筋反射テストを使えば、それらのアレルギーを特定でき、体の病気、症状とも無縁になる。とその本には書いてあったのです。

真実にしては、よく出来すぎてる、、、と思わなくもなかったけど、痛みに苦しんでいた彼女は、そのアイデアに飛び込みます。
神が祈りを聞いて、これがその答えかもしれない。とまで思って。

そこから、プラクティショナーに予約をとって、最初のセッションになります。
初回の感想は、クレイジーな感じを受けたけど、でも、受け入れて、その後2日間発熱して寝込みます。彼女は、それもデトックスか何かなのかも、と思い、2回のセッションを予約します。

2回目には、プラクティショナーは彼女にカルシウムを与えます。
それを取った彼女は、その夜久々によく寝れる、ということを経験します。
それでも、何か解せないものが心の中に渦巻いている事も感じてて、
なぜそれが機能するんだろう、、とか、頭はハテナのままだったという事です。

3回目のセッションで、プラクティショナーは硫黄を処方します。
甲状腺はその働きのためには硫黄を要求するのだけど、プラクティショナーは硫黄を処方しました。
それから、私の甲状腺は、きちんと機能しはじめたのです。
それまで、3年間甲状腺の薬を飲んでいたのに、それらは効かず、硫黄のサプリで良くなったのです。

彼女はびっくりして、そして、『これには何かがある!』と確信したのでした。
それで彼女は、そのプラクティショナーのところに足繁く通うようになったのです。
その結果が彼女が筋反射テストにはまるきっかけになったけど、それでも、彼女の心の中には、何かが間違っているのではないか、これっていい事なのか、、、という小さな声があったのでした。

彼女は、天の神に、祈り続けます。
明確な答えが与えられたかったのです。でも、答えは沈黙だけでした。

そこで、彼女は、聖句『すべての良いもの、完全なものは、光を造られた神から来るのです。』(ヤコブの手紙 1:17 )というのを読んで、この技もきっと神からのものだと思い込むことにしたのでした。

でも、、、と彼女は言っています。

『ヘロインなどの麻薬でさえも、最初に打った時はとても気持ちがいいものです。それらが気持ちがいいから、それらは神からのものだって言えないのです。』と。

そこには、論理がありそうで、本当の論理はないのです。
英語で検索すると、『筋反射テストが悪霊が関わってて危険だ』とする警告がインターネットで沢山出て来ます。
でも、私も、このMarciさんも、筋反射テストにハマった時には、それらについて検索することはなかったのです。

 

4、筋反射テストは束縛、錯乱になりる

Marciさんの場合、最初の、甲状腺に硫黄の処方が劇的に効いて以外は驚くような結果もなかったのですが、
どんどんと筋反射テストに依存するようになっています。
次第に、アレルギー症状がひどくなり、ありとあらゆるものに反応するようになります。
でも、何に反応しているのかを知るために、家族にも筋反射テストができるようになってもらい、テストしてもらえるようになっていました。

長く筋反射テストに関われば関わるほど、人は筋反射テストに依存するようになるようです。

依存していくと、そのうち、筋反射テストに頼って、自分の意思決定をするようになります。

『このレクチャーを受けるべきか、、、』『こっちの病院とこっちの病院、どちらにいくべきか、、、』『お昼はサラダにするべきか、お肉を食べるべきか、、、、』
筋反射テストを知らない人がこれを読んだら、そんなことってあるの?!って思うかもしれません。
でも、私は、神様に悔い改めたことだけど、筋反射テストを教えていた過去があります。
その時に、生徒さんたちが、筋反射テストで答えが出ることに、感動して、全てのことを筋反射テストで見ようとしてしまうようになる、ということを目の当たりにした事もあります。

さすがにそれは危険だな、って思って、自分の意思決定は自分でするものだよ、と伝えていましたけれども。。。
でも、そもそも、筋反射テストというのが、自分の力を超えた何かの『霊』にアクセスする行為であり、
その『霊』から答えをもらえるなら、自分を超えてる何かに頼りたくなるのは、普通に起こる事だって思います。

それが、『霊』だとは説明されずに、
『あなたの全知全能の体』だとか、『あなたのなんでも知っている潜在意識』っと説明される事で、
『やってもいい事』『安全な事』って思ってしまうのです。

神様は、『聖霊』という霊を私たちに与えます。
私たちが人生に迷う時、どうすればいいかわからない時、私たちは『聖霊』の導きで神の意思を知るのです。
その霊『聖霊』だけが私たちがアクセスしていい『霊』です。

他の霊は神から出た霊ではないのです。
聖書では、明確に他の霊にアクセスする行為である『占い』『魔術』『口寄せ』などを禁じています。
なぜなら、それら悪霊と関わると、私たちが悪霊にポータルを開いてしまうことになり、悪霊が自分の人生に関わる権利を与えてしまっていることになるから。
神からの愛が悪霊によって邪魔される状況におかれやすくなるからです。
『筋反射テスト』と名付けられた体を使った『占い』は『悪霊』が関与しています。

「実際、体の筋肉が強くなったり、弱くなったりするじゃないですか!その反応を見ているだけでしょ!」と誰かは言うかもしれません。

はい。悪霊は私たちの筋肉を強めたり、弱めたりできるのです。一度その人に本当に必要な情報を教え、その人が感動することで筋反射テストというものを信じ込ませて、じわじわと嘘を混ぜていくのです。
そして、その人の人生を少しずつ歪めていく。それが悪霊のやることです。

悪霊がやることは、最終的には、盗むか殺すか破壊するか、なのです。悲しいけど、そうなのです。

 

5、筋反射テストには実際に『何かの力』が働いているという事例証拠

Marciさんも、自分がセッションを受けるだけではなく、筋反射テストで人を助けるようになりました。
彼女のセッションで、何ヶ月も泣いて泣いて、夜も寝ない赤ちゃんが、筋反射テストの結果飲んでるミルクを変えることで、この上なくニコニコする上機嫌な赤ちゃんになったり、と、人から感謝される事だいりが起こります。

それで、彼女は、この筋反射テストというギフトは神様から与えられたもので、私もこれで人助けができると思ってしまったのです。

でも、実際は彼女の助言によって、物凄い命の危険に陥ったクライアントもいたそうです。

筋反射テストをやっている人は感じると思うけど、自分が知らない『何かの英知』にアクセスしていると知るのです。
実際に何かしらの力が働いているのを感じます。
実際、筋反射テストに効果があるとして、それらが単に体に備わった機能としての力であるのか、自然界の霊的な力によるものなのか、が問いになるのです。

 

6、科学的研究において、筋反射テストは科学的ではないと示されている。

筋反射テストで出た結果が、医学や科学のテストで証明できるか、というと、できないケースが多いのです。
筋反射テストでアレルギーだと出ても、医学的なアレルギーテストではそれが出てこなかったりします。

科学論文では、二重盲検試験 で一定の結果が再現できない事が示されています。

例えば、その中の一つの実験では、
51人の被験者に対して3人のキネシオロジーの名声のあるプラクティショナーが試験に参加しました。
また、筋肉の強さを測定する機械も使われます。

2つのボトルを用意して、一つは致死量の毒を入れたボトル、もう一つのボトルは生体に必要な塩分調整がなされている水を用意して、被験者がどのようにそのボトルに対してで反応するかを筋反射テストで見ます。

その結果、2人のプラクティショナーと機械から出た結果は、当てずっぽうに予測した結果と同じ的中率しかありませんでした。
一人のプラクティショナーの的中率は、それよりも少し良かった結果でした。
この結果を受けて、キネシオロジーの筋反射テストを診断に使うことはできないという結論になっています。

 

7、肉体的な接触なくキネシオロジーのセッションが行えるのは、唯一、霊的な領域でのみ説明可能な事象になる。

実際に筋肉の反応を見るのではなく、電話やインターネットを通して、プラクティショナーが代理で反応を見るという、物理的な接触もない状態でセッションが行われる代理セッションがあるのですが、それらは、完全に科学的な『ただ単に肉体の反応である』とする科学では説明不可能なものになっていきます。

そう、それは科学でもなんでもないのです。

電話を通して、クライアントの『エネルギー』がプラクティショナーに『移転』する。。。
これはもはや、聖書を信じるクリスチャンの考えにはないことになっていきます。

つまり、肉体的な接触なくキネシオロジーのセッションが行えるのは、唯一、霊的な領域でのみ説明可能な事象になるのです。

遠隔セッションで効果があるのは、プラシーボ効果なのか、それとも、悪霊が騙して、最終的には錯乱に持っていくためにやっていることなのか、を知っていく必要があります。

Marciさんの場合、友人が聖書の中にこそ答えがあるということを示してくれ、3ヶ月かかって、健康と癒しに関して神の言葉を読み続けます。
聖書の中で、人が癒されないのには、二つの理由があると書いてある事がわかります。
一つには、心に平安がない事
そしてもう一つには、
神に対する罪に対して悔い改めができていない事

そのことを理解して、marciさんは神に対して祈り求めます。
『神様、私が神様の前で悔い改めるべきことを示してください。』と。

その時、神は、やっと彼女に筋反射テストが間違っているということを示したのでした。
神様は、この事が大きなことなので、彼女が自ら理解するように時間をかけて彼女が選んでいる事が間違いだということを示したのでした。
Marciさんは、筋反射テストが神からのものではないことを理解し、2週間かけて悔い改めて、ある夜、跪いて神に祈ります。
聖書の約束にあるように、私に神様からの癒しをください、と。

その時から以降、彼女は、どんなものにもアレルギー反応が出る事がなくなりました。
神様は完全に彼女をアレルギーから癒されたのでした。
20年間苦しんだ事から初めて自由になったのでした。

その時以来、8年たった今でも、彼女は、その苦しみから自由になったままだと言うことです。

彼女自身に筋反射テストをしなくなったけど、それでもMarciさんは、
人に対して筋反射テストをすることをやめていませんでした。

それでも同時に『自分に罪があるとしたらそれを教えてください』と神にも祈っていました。

そんな中、彼女の家を周りで奇怪な現象が起こり始めます。
彼女が家にいると、家のドアが勝手に大きな音を立てて閉じたり、彼女の息子が予言的な夢を見始めたり。。。

一つ大きな出来事が、バケーションに出かけた先で起こります。
バケーション先から親戚に葉書を出そうとして、郵便局に投函しにいきました。
彼女の息子と夫は車で待ってて、彼女だけが郵便局の中に入っていきました。車に戻った時に、息子が今パパと話していたことなんだけどね、、、、

と話し始めるのだけど、彼女は『なんで今聞いたことをもう一回私に話すの?』と息子に言います。
『ママは郵便局に入ってたじゃない、だから僕たちの話は聞いてないはずだよ!』と息子は驚きます。
確かに彼女はその話を聞いたし、その話の続きさえ言えます。
でも、確かに彼女はその時間郵便局の中に入ってて、車にはいなかったのです。

でも、それからよく考えてみると、彼女は、誰かにアレルギーテストをする前に
『ああ、この人にはこれこれのアレルギーがあるに違いない、テストしなきゃ』と思って筋反射テストする自分に気が付いたのです。

つまり彼女は、物理的に何かの証拠があるわけでもない時に、自分が予知してることに気がついたのです。

その予知が当たっているとしたら、それらは、神からなのか、サタンからなのか、が大切になってきます。
でも、彼女はその時、予知できるというパワーを感じ、それらを手放したくはなかったのでした。
何かをパワーを持ってできるという魅力に取り憑かれていたので、最初は旦那さんにもそのことは告げずにいたのでした。
でも、しばらく経ち、この事がサタン(悪霊)にまつわる事なら関わったままでいたくない、と思い、いよいよ旦那さんに告白します。

彼女の旦那さんは、それなら、それらが本当に予知的か、テストしてみよう。と、テストを考えました。

『僕が家の中の何かを指差すから、それに対して僕がアレルギーを持っているのか、持っていないのかを言ってみて』。と。

それら全てのことが当たったのを見た時、というか、彼女は、旦那さんがある本に関して『僕はこの本にアレルギーがある』と言った時、彼女は、
『そうよ!私にはそのことが分かってたわ!!!』と心の中で思ったそうです。

全てのテストが100%当たっているという統計的にはあり得ないことが起こって、
彼女の旦那さんも、彼女も、唖然としました。このようなパワーはクリスチャンとしての視点からいうと、霊が関わっていると分かった瞬間でした。

それまで、聖書的な聖霊の働きでさえ重きを置いているクリスチャンではなかったので、
これについてどうすればいいのかわかりませんでした。

まず、このことに深く関わってしまっている息子を呼んで、息子にもこのことを告白しました。
すると、息子はこの筋反射テストにまつわる恐れについて、彼の感じていたことを告白してくれました。

家にいる筋反射にまつわる悪霊をイエスキリストの御名で追い出し、
家に漂っていた恐ろしい感じが表面に上がってきて、Marciさんは息もできない感じになり、大声で叫びます。
引き続き、悪霊を追い出す祈りを続け、ようやく静けさが家の中に訪れます。

そこから
家にあった筋反射テストにまつわるものを捨てます。

捨てた瞬間、やっとのことでmarciさんの中に平安が訪れるのを感じ始めました。
でも、それと同時に、それら筋反射テストに関係するゴミ箱に捨てられたものが『私たちをここから出して、救い出して〜!!』とMarciさんを呼ぶ感じがして、旦那さんに早くこのゴミを出してきて!とにかく早く出してきて!!と言ったそうです。

翌日、Marciさんとご主人は、筋反射テストがもし神からのものだったり、肉体の反応なのであり、悪霊のものではなかったとしたら、悪霊を追い出した後でも、おんなじ制度の結果が出るはずだ、と、昨日と同じテストをやってみました。

結果は、散々なものでした。霊の関わりのない筋反射テストは精度の全くないものでした。

 

8,筋反射テストの特性やパターンはサタンとその技の特徴を持つ。

『この反キリストは悪魔の手先であり、悪魔のあらゆる力を与えられてやって来ます。不思議なわざを見せては人々をだまし、力ある奇跡を行う者であるかのように見せかけるのです。 こうして、真理を拒んで滅びへの道を走る者たちを、すっかりとりこにします。』(2テサロニケ2:9〜10)

悪霊は、まずその人に病気を起こします。
そして、悪霊が導いている筋反射テストをした後で、悪霊はその病気を起こさなくなったとしたとしても、それは、本当に癒しが行われたわけではないのです。

『あなたがたの父は悪魔です。悪魔の子が悪魔の悪い行いを喜んでまねても、不思議ではありません。悪魔は初めから人殺しで、真理をきらっています。悪魔のうちには真理の一かけらもありません。悪魔がうそをつくのは当然です。うそつきの大もとなのですから。』(ヨハネの福音書8:44)

『サタンでさえ、光の天使に変装するのです。 ですから、サタンの手下どもがまねをし、敬虔な牧師になりすましたとしても、特別驚くことはありません。最後は、その悪事にふさわしいものとなるのです。』(2コリント11:14)

『最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、警戒しなさい。悪魔は、飢えてほえたけるライオンのように、引き裂くべき獲物を求めてうろつき回っているのです。 』(1ペトロ5:8)

『偽教師たちに気をつけなさい。彼らは羊の毛皮をかぶった狼だから、あなたがたを引き裂いてしまうでしょう。 』(マタイ7:15)

サタンとその支配下にある悪霊たちは私たちを破壊することを目的としています。
でも、じゃあなぜ、一見癒しを起こすのでしょうか?
それは、癒しが呼水になることで、私たちを信用させて、私たちからより多くを奪うためなのです。
彼らサタンは、私たちが虜になるまでは十分信頼できるように餌を与えてくれ、完全に信用してからそこから奪っていくのです。
蜂蜜を置いておいた方が、酢を置いておくよりも多くのハエを捕まえることができます。
甘い物には私たちは引き寄せられることが、サタンの勢力はよく分かっているのです。

その日1日を見た時、『癒しも起こったし良い日だった』と判断するけど、もっと大きな視点を持って全体を見た時に、全体的には悪くなっていっている。
それが筋反射テストに関わる人が口を揃えて言うことでした、と、Marciは言います。

私自身、キネシオロジーを通して、たくさんのクライアントさんと接してきました。

大きな癒し、小さな癒しが起こり、感動的なセッションはたくさんありました。
その都度、私も、クライアントさんも感動して、涙して、その英知に触れることができることに感謝していました。

では、長くセッションを続けた人は、最終的に心に平安が得られたのでしょうか?
湧き起こるネガティブな考えのパターンから解放されたのでしょうか。。。
私がみる限り、その都度その都度問題に対する新たな視点が与えられ、心は癒されて、
その問題について同じように悩みを持たなくなる、という現象が起こるけど、
次、またシチュエーションを変えて、似たような問題が起こり、心の平安がなくなる、ということを繰り返します。

キネシオロジーのセッションに頼っているので、そのセッションを受けなければ心に癒しが来ないという状況になっていきます。
今思うと、依存状態を作り出してしまっていました。

その時の私は、人生というのは、次から次に問題が生じて、その問題によって私たちは成長するんだ、だから、キネシオロジーという英知を通して、より深く理解して私たちが成長できるのは素晴らしいことだって思っていました。

私の場合、自分の日常の中で自分自身はキネシオロジーに『依存する』という状況に陥っていなかったのが、まだ救いだったのかもしれません。
キネシオロジーに頼ることなく、自分で意思決定してきたし、クリスチャンになる前1年くらいは、キネシオロジーから離れた、心を見つめるワークを自分で考案してやり始めていました。

なぜそうなっていたのか、、、それは、 IH というキネシオロジーのヒーリングをすると、セッションをやっている自分自身がチャネリング状態になるので、自分が『何か』にコネクトしているというのが分かってて、でも、それはとてもエネルギーを使うことで、『どっと疲れる』ということを経験するようになっていたからです。

その時は、聖書も知らないし、何がいいことで何が悪いことかも分かってない、霊を見分ける目がない状態だったので、
チャネリングで霊とかエネルギーとコネクションすることが悪いことだとも思っていなかったのですが、ただ、どっと疲れる、という感覚があり、セッションはエネルギーがいることだ、という認識になってて、なるべくその頻度を減らしたい、という衝動が自分の中で起こっていた結果でした。

でも、私が考案した自分に向き合うワークでは、IHで感じたほどのミラクルが起こらないから、IH をして欲しい!という要望がクライアントさん側から出ることもありました。

そう。霊が関わるから、大きなミラクルが起こるのです。

そして、私が、その筋反射テストに関わる霊が『聖霊』ではなく『悪霊なんだ』と判断した大きな理由があります。

筋反射テストをして、チャネリング状態になった時に、「これをクライアントに言わなきゃ」という思いが私の中に起こる時が多々あるのですが、それを私が勝手に考えていうことはセッションの中では禁じられているので、クライアントの体に筋反射テストで確認して『そのことを伝える』かどうかを聞きます。
『yes』という返事だった時にのみ、私の考えに上がった事を伝えていたのですが、それは、聖書を知った後では、聖書に反する言葉だったと振り返ることができます。。

私は、そのクライアントさんの潜在意識にある事を私を通して通訳しているだけだ、と解釈していたけど、『これがあなたの潜在意識からのメッセージですよ』と言われたら、そもそも人生に迷っているクライアントは『ああ、私は深いところで確かにそう思っているかもしれない。』と洗脳されていくのです。

旦那さんの親と同居してて、悩んでいるクライアントさんに『自分を大事に、自分が心地いい事を自分が自分に選択してあげたい。そうやって自分が自分を元気にしないと、家族なんて支えられない。』と潜在意識は訴えていますよ。とアドバイスしたこともあります。

これって一見確かにその通りだよね、いいことだよね、と思えそうになるかもしれません。

でも、その方は結局、その後、同居をやめて、旦那さんと子供との生活を始め、自分が心地いい事を選んだのだと喜んんでいたのも束の間、
その後、『恋人』が自分が所属するサークル活動の中でできて、旦那さんとの関係が悪くなり、離婚して、子供は別々に親が引き取り、違う街に住む状態になり、元旦那さんと会わないために、子供にも合わない状態になってしまっています。体の不調も、精神の不調も招き入れてしまい、薬を服用するようにもなっています。。

私は、その成り行きを見守る中で、彼女はどこで道が逸れてしまったのか、と悲しく思っていたのですが、でも、今こうしてキネシオロジーが悪霊に関わる事であり、それらが引き起こす事が私たちを破壊につなげる事を考えると、自分がやってしまったセッションがなんて罪だったんだろう、と思わないではいられないのです。

確かに、自分が心地いい方を選んで行った結果なのかもしれません。
でも、それは聖書が禁じる『姦淫』の罪を犯す結果になってるのです。

それがなぜダメなのか、それは、その罪の結果の奴隷になってしまうからなのです。

 

9、筋反射テストはこっくりさんと同じだと思う件

このMarciさんも言ってるけど、筋反射のプロになってくると、筋肉をテストするために全く力は使わなくなります。

私も、クライアントの手を軽く触り、それでクライアントのことが読み取れてしまっていました。
もうエネルギーを読んでいる状態です。

クライアントが全く違う事を考えていたとしても、私が何を質問したか、クライアントには分かっていなくても、体は私の質問に対してyes,noを出してくれるのです。
これって、その人の脳からの電気信号がハイジャックされて、勝手にコミュニケーションとられている事だって、どうしてあの頃の私は気がつかなかったのでしょう。
今では、キネシオロジーのセッションはとても霊的であり、それは、まさに昔はやったコックリさんを体を使ってやっていることと何も変わらないのだって目が開かれました。

霊の領域では、霊は電気信号に介入することができます。
ヒーラーが『私のエネルギーが強いので、私はよく電気製品を壊すの〜』と言ってるのを聞くけど、それはその人のエネルギーが強いわけでもなんでもなく、介入している悪霊が悪さしているだけの話なのです。

 

10、筋反射テストができない人もいる。そして、誰かの存在で、筋反射の結果に影響が及ぼされることもある

筋反射テストというものが、霊の仕業だとすると、いくらやりたいと思ってても、わからない、できないと言う人がいるのも納得です。そのギフトが与えられていないのです。そのギフトは神からのものではなく、悪霊からのものなのだけど。
また、筋反射テストに対して、疑いを持っている人がいると、テストがうまくできないこともあります。霊的な問題ならそのことにも納得です。

 

11、過去、または現在筋反射テストに関わっていたら、『霊的戦い』から完全に逃れることが難しい

私も自分が関わっていた霊の世界から足を洗うために悪霊の追い出しをしてもらい、悪霊が激しく暴れた経験があります。今でも、霊的戦いの中にいると思っています。クリスチャンになりたてで戦い方がわからなかった時には、霊的な攻撃が怖くもありました。

過去、または現在、筋反射テストに関わっている場合には、一刻も早く、その分野から足を洗い自分を切り離す事を強くお勧めします。

①まず、神に罪の前で罪を認め、告白し、悔い改めること

『ですから、神の前に謙遜になりなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。悪魔はしっぽを巻いて逃げ出すでしょう。
神に近づきなさい。そうすれば、神も近づいてくださいます。罪ある人たちよ。罪の生活から足を洗いなさい。純粋で真実な心の持ち主だと認めてもらえるように、神への思いで心を満たしなさい。 』(ヤコブ4:7〜8)

②悪霊をイエスキリストの名のもとに追い出す

ルカ4:35
ルカ10:17
使徒言行録19:13〜16
ただし、イエスを信じている、イエスのもとに生まれ直したビリーバーでなければ、イエスの名のもとに悪霊を追い出すことはできません。イエスを信じ、受け入れたものはイエスの弟子として、イエスの名のもとに悪霊を追い出す権力を与えられます。

 

③どんなにコストがかかったものであったとしても、それらの筋反射テストにまつわるものたちは捨てること

『それまで魔術を行っていた信者たちも、そのことを告白し、呪文の本やお札を持って来て積み上げ、みんなの見ている前で焼き捨てました。ざっと見積もっても、銀貨五万枚にはなりそうな量でした。 20このこと一つ取ってみても、この地方一帯が、どれだけ神のことばによって揺り動かされたかが、よくわかります。』(使徒言行録19:18〜20)
もう、自分は持たない方がいいものだからって、それらを売って、金銭に変えることも勧めません。
完全に捨てる事をするべきです。誰かに売るということは誰かがそれを使う事を推奨していることになります。悪霊にまつわるものを誰かに勧めることは、罪です。

私は、筋反射テストにまつわるヒーリングを全てやめ、洗礼を受けました。
でも、その後も、家にはたくさんんもヒーリンググッズが置いてあるままでした。『もう関わってはいないからいいよね。。。』それくらいの気持ちでした。
でも、TLRをやっているアメリカのトーベンさんのキックスタートに行き、それから帰ってきて、自宅に入った瞬間からそれまで収まっていた皮膚の症状がひどくぶり返し出しました。
その時に必死で祈るけども、祈りが通らない感じがして、何がダメなんだろう?と困り果てました。
そして、アメリカにいるトーベンさんのところでスタッフをしている日本人の大地さんに自分の状況をメッセージしたことがあるのです。

その時、大地さんがすぐに返答して来てくれて、『恵子さん、神様が喜ばないものをお家に置いていませんか?』と言ってくれたのです。
ヒーリンググッズを置いていた私は、ドキリとして、それらをすぐに処分する行動を起こすことができたのです。
車いっぱいに10年間やってきたことの全てを詰め、それにまつわる本も乗せて、近くのゴミ焼却じょに捨てに行ったのです。
その時点で、自分の何かがまだそれらに執着していることが分かったのでした。

Marciさんが捨てたものたちが自分を呼ぶようだった、それは激しかった、と言ってたけど、私にとってもそれらの霊がまだ私にアタッチしているのをその出来事で感じたのでした。

心でたちきり、それらを捨て、神様が喜ばないものは一切置かない、神様に喜ばれることだけをしたい、と決意を新たにして、ゴミ捨て場から祈りながら帰る時、神様に喜んでもらえたのか、確信が欲しい、神様何か私にサインを見せてくださいと祈りました。(本当は、神様にサインを求めることは、神様の喜ぶことではありません。。その頃のワタシはよく分かってなかった。)
そして、車を運転しながらふと見ると、そこには虹が上がっていました。

その後、家は私の祈りは、明らかに天に届きやすくなったと感じています。
なので、私の経験から、神様が喜ばない事をしていると、色んな理由から神様の恵みが届かないのかもしれないと言うことです。
そして、神様から離れてて、サタンのやっている事を知らずにも信奉していたら、サタンを信じていることになり、サタンの支配のもとにがっつりと収まっている状態になってしまうのです。
サタンが『こいつは私のものだ、だって私の技をこんなにも愛しているではないですか!』と神に訴えたら、神はサタンの言う事を認めるしかないのかもしれません。
だって、神は義の人ですから。
サタンはずるいです。
私たちを騙して、正しく、美しいものかのように見せて、その技の虜にしていくのですから。

でも、だからこそ、私たちには、聖書が用意されているのです。

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あるゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである」(Ⅱテモテ3:16)
つまり、聖書無くして、私たちは教えてもらうこともできないし、戒めてもらうことも、正しくしてもらうこともできないし義に導いてもらうこともないのです。
でも、聖書によって私たちは、神が用意した良い技に対して、十分に準備ができて、完全に整えられたものになるのです。
と言うことは、サタンの策略に人がハマってしまうのは、聖書を十分知らない、自分のものにできていない、と言うことになるのです。

私も、日々、もう、私を創造した神様から2度と離れたくないな、と言う思いで、聖書を学び、調べています。

今日の記事が必要な人に届きますように。

今日の記事はMarciさんの動画を参考に私の体験、考えも含めて作成しました。
Marciさんの動画はこちらhttps://youtu.be/Bs4tg8sJUXg

宇宙人って悪霊だったって知ってた?

宇宙人エイリアンの欺瞞

宇宙人、エイリアンの存在を信じていますか?

以前、私が聖書に導かれ、イエス・キリストは人であり、神であったと知る前、スピリチュアルなヒーリングをやっていた時、私にとって、宇宙=神、サムシンググレートであり、
宇宙には私たちを奴隷にしようとする悪い知的生命体(エイリアン)と、私たちに愛を伝え私たちの魂を引き上げようとしてくれているいい知的生命体(エイリアン)がいる、と信じていました。

宇宙は戦争状態であり、地球はまだ重い波動の惑星だから、そこに生きる私たちは、罪悪感とか、妬みとか、怒りとかのネガティブさを持っているのであり、今、地球の波動が上がっていくときに、私たちも高い波動になっていくと、愛だけの世界に移行する事ができる、と、そう信じていました。

だから、私たちがするべき事は、自分の内側のネガティブなトラウマを宇宙の崇高な愛のエネルギーで癒して自分の波動を、上げていく事なのだ、と。

。。。

イエスキリストに導かれ、聖書を知るようになり、本当の意味で霊の目が開かれて、今まで信じていた事がなんて欺瞞に満ちていたのか、って思います。

聖書の創世記6章にこう書いてあります。

『人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。』(創世記6:1〜5)

これはどういうことか、と言うと、

神の子つまり天使たちが人の娘を美しいと思って、各々選んでめとって、子供を産ませたのです。その生ませた子供がネピリムでした。そのネピリムは半人、半天使です。
神様は、雑婚を許しません。神に使える天使が人とsexする事は、神様に逆らう事なので、その堕天使たちは神の元へも帰る事ができない霊になりました。
ネピリムは死ぬと、その霊は半分人の霊、半分天使の霊なので、人が死ぬように完全に死ぬ事ができず、肉体が死んでも『悪霊』として霊が残ります。
その悪霊が今現在生きている人にも憑くし、悪魔(サタン)というトップの元で、人を神様から遠ざけるアジェンダに取り組む働きをしているのです。悪霊はどこにいるの?というと、違う領域にいるのです。だから普段は見えないのです。だけど、人を騙す意図を持って、私たちが親しみを持っていた亡くなったおばあちゃんの姿で現れたりして、私たちが信じる形でアドバイスして私たちを欺瞞に導くのです。

そして、エイリアンとか、UFOとかの存在は、違う領域(realm)に存在する『悪霊』たちがエイリアンを信じさせるアジェンダのもとにやってる騙しなのです。宇宙の違う惑星から来た崇高な存在ではないのです。

この以下の動画は、UFO研究に携わってる研究者の動画です。
無神論者であったこのUFO研究者はその出てくる事実に困惑しながらも研究を続けて、研究結果を受け止める中でクリスチャンになっています。
それはなぜか、世界で起き続けているエイリアンからの拉致を防ぐ唯一の方法があり、それが、『イエスキリストの名を呼ぶ』事だと、拉致被害者たちの証言を集める中で確固たる証拠としてわかってしまったから。
ブッタの名前でも、アッラーの名前でもなく、ソムシンググレートに祈るでもなく、『イエスキリストが唯一の名前』なのです。

クリスチャン、ってキリスト教でしょ〜〜と、『宗教』という括りで宗教信じるなんて『怪しいもの』って思う人も多いと思う。
でも、『私は無神論者です』という人でも、『何か』を信じているのです。

それは、『私が神であり、自分の人生は 自分が創り出す事ができる』というニューエイジ的なアイデアだったり、
『神社でも、お寺でも、ご利益を授けてもらうために神社の神様、ご先祖様に、手を合わせるべきだ』というアイデアだったり、
『何にでも神様は宿っている。八百万の神。キリストだけが神への道なんて、なんて狭い考えなんだ』というアイデアとか、
皆、『何か』を信じているのです。その信じている事に、どれくらいの歴史的な真実の根拠があるのでしょうか?
霊的根拠はあるのだと思います。だって、それら全てに『霊』の存在は関わっているので。
でも、それは、本当の、私たち一人一人をデザインした全知全能の創造主である『神』につながる霊なのか。

聖書は真実なのか、イエスキリストを証する聖書は『神』からのものなのか、誰か『人』が書いたものなのか、を私たちは「信じる事』の根拠として知る必要があるのです。

いかに挙げる動画は、ドイツ最高峰の科学技術の研究機関であるドイツ連邦物理学・科学技術研究所において、教授兼所長を務めていた経歴を持つ一流の科学者ウェルナー・ギット博士によるレクチャーです。

聖書で言ってることは
○天国と地獄
○復活
○永遠の裁き
聖書は『人が書いたものなのか』
それとも、
『神が書いたものなのか』
もし、人が書いたものなら、上のことは単なる人間の空想の産物ということになる。
でも、もし、聖書が創造主(神)から与えられたものなら、、、
○天国と地獄は存在するということ
○永遠の裁きがあるということ
○私たちは永遠の存在だということ
じゃあ、どうすれば、聖書が真実だとわかるのか?
それを、
1、人の生き方から
2、科学から
3、預言から
証明しています。

『引き寄せ』の嘘

聖書的な観点から、巷で言われているスピリチュアル情報の真実を紹介しています。


今回は「引き寄せ」。。。これは、今でも、小耳に挟むと複雑な思いがする言葉です。
なぜなら、それが意味することをきちんと理解していなかった過去があるから。


イエスの元に来るまで、自分は引き寄せたいものを”なんでも”引き寄せていると信じていました。
自分の人生は自分に向き合い、自分の中の純度を上げていけば、自分が思うように”なんでも”クリエイトできるんだ、と。

実際、叶ったこともいくつもありました。
でもね、その間、叶わなかったこともいくつもあるのです。
ただ、叶った事に自分のインパクトがあって、その事が自分の中で強調されたんだって事が、目が覚めた今はわかります。
結局、叶ったことは、私の真っ直ぐな思いを神様が見てくださって、叶ったってことだとわかりました。つまり、神様が叶えようと思ってくださった事が叶っているのです。

なぜ、引き寄せの法則は叶う事があるのか?

1、その『引き寄せた成功話』は、自己改善や、ポジティブシンキングの自然な副産物なだけな場合があります。

誰でも、自己啓発のアイデアで自己改革を測ったり、ポジティブに物事を捉えようとし始めたら、良い思考から、良い行動が生まれるので、『良い事』に繋がります。つまり、それは引き寄せでもなんでもなくて、自分を改善した結果なだけなのです。私が伝えているメンタルビューティーは、つまりは、自分改善メソッドで、引き寄せという言葉を使っているけど、要は「物事をどう捉えるのか、それによって、自分の行動は変わってくるよね、そしたら、結果は変わるよね!」という事を手を変え品を変えお伝えしています。

なぜなら、そここそが、機能不全家族(父子、母子関係)で育った者にとって、色々なトラウマや、植え込まれた考えで、ねじれた心になってしまって、現実、そして、自分の体調までが悪循環に陥ってしまうことだからです。


2、その『引き寄せた成功話』は単に偶然なだけだったりします。

良いことも起こるし、悪いことも起こる。
世界には善意もあるけど悪意もあるので、私たちは両方が起こる世界に住んでいます。引き寄せの瞑想をした直後に良い事が起こったとしても、それは、偶然だったりするかもしれません。
でも、私たちが引き寄せを盲信していたら、何かにつけ、「私がそれを望んだから引き寄せた!!!」と自分の『力』を過信して、喜ぶ事になってしまいます。

3、その『引き寄せた成功話』は選択的知覚によるものだったりします。

選択的知覚とは、さまざまな情報の中から、信念や予期に一致するものだけに気づき、記憶し、解釈することを言います。
これも、上記の2に繋がる事なのだけど、私たちは見たいものを見ているんです。だから、自分が信じている事に一致するものに脳が気づく、そして、ああ、引き寄せが起こった、と解釈する、という事が起こります。
『それで幸せなら信じてても良いじゃん〜!』と思うかもしれません。その一時の幸せで済むなら害はないのだけど、上に書いたように、『自分の力』と盲信してしまうことは、最終的にそのプライドを潰される出来事に繋がったりします。そう、『自分には引き寄せる力がある!!』そのように思うことは危険でしかありません。

4、その『引き寄せた成功話』は悪霊が自然界の中で操作している結果として起こっている事だったら?

『引き寄せ』は偶像崇拝なのです。(後ほど説明します)。偶像崇拝の背後にいるのは、『悪霊』です。あなたに力があって、何かを『引き寄せ』る力がある、と、信じることは、どんどん創造主から離れていく事に繋がります。

自分がその方向になってしまっている、と気づいたら、もしかしたら、あなたにラッキーな現実を引き寄せているのは『悪霊』かもしれません。

実際に悪霊の働きで良い引き寄せ、悪い引き寄せは起こります。でも、それは、神様がそれを許している時のみ。そのことも、聖書のヨブ記には書いてあります。
ラッキーな引き寄せがバンバン起こり、『私には力がある』と天狗になってしまった人は、その背後にいるのが、悪霊なのです。なぜなら、神様からの霊(聖霊)の導きで生きている時、人は『天狗』にはなれないから。聖霊の導きで生きている時、わたしたちは『整えられた者』になっていくからです。


引き寄せを信じているヨガの先生Aが、自分の新しいヨガスタジオで一緒に働いてくれる人を探している。
ある時、車でそのヨガスタジオに向かうため隣町を走っている時に、その街に住む古い友達、Tちゃんを思い出します。
元気にしているかな〜なんて思ってたら、急にグリーンスムージーが飲みたくなり、その街のグリーンスムージー屋さんに立ち寄る事に。
店に入ってみると、びっくり、Tちゃんがカウンターでスムージーを作ってるじゃないですか!
Tちゃんと話してみて、またまたびっくり、なんとTちゃんはヨガインストラクターの資格を取ったばかりで、仕事を探しているという事です。
こういう訳で、Tちゃんを自分のヨガスタジオのインストラクターとして迎える事にします。Tちゃんも大喜び。私、引き寄せを勉強してて、毎日、素敵なヨガスタジオで教えているイメージをしていたの!と。

。。。このシチュエーション、引き寄せのあるあるですよね。笑


これって、誰がやっているのだと思いますか?神様なのだと思いますか?

自分が自分や神様にまっすぐに生きている中で、引き寄せが起こることもあります。
でも、これって、悪霊が裏で操作している事かもしれません。

これは、誰が操作していたことなのか、それは、その人がどのような『実』をつけているか、で判断するしかないでしょう。


お金、名誉、そこへの執着がつよくなって、天狗になっていないか?


それとも、

神様の前で自分が無力だということをわかってて、謙虚で誠実な頑張りの姿勢が見えるのか?

それって、一見、外からはわかりにくい事かもしれませんね。

でも、自分の心に手を当ててみたら、自分がどっちで生きているのかって、自分ではわかるのではないでしょうか。

私は、悪霊からの引き寄せならば、起こらないほうがいい!!!と断固として思います。だって、それは、最終的に『破壊』につながる道だからです。

 

 A、引き寄せの法則は聖書的な一神教の考えと『祈りは聞き入れられる』という事に反する

神は、人の祈りに対して、ポシティブにも、ネガティブにも反応されるお方です。神には超越的な意思があり、その意思によってその反応をされるのです。

超越的なというのは、神は、場所と時間を超えて見る事ができるお方だから。

神には、意思があり、好き、嫌いなどの感情があるお方なので、私たちは神を喜ばすことも、悲しがらせることもできるのです。

神というお方は、引き寄せの法則で言われているように『操作できるメカニズム』なのではなくて、神というお方は人と同じで、親が子供の欲しいものにダメだというように、ダメだよという事ができるお方なのです。

実際聖書には、神はどのような祈りや願いに応えられないか、という事が書いてありますが、それらは、一般的な『引き寄せの法則』が言っていることとに相反します。

神が願いを聞き入れない場合

ー神のモラルのある意思に率直に反している悔い改めていない罪人の願いを聞き入れない
神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。(ヨハネ9:31)
主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。(1ペテロ3:12)
わたしが心に悪事を見ているなら 主は聞いてくださらないでしょう。(詩篇66:18)

ー神がなさろうとしている事に反する祈りは聞き入れない
何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。(1ヨハネ5:14-15)

ー間違えた、自己中心的な動機での祈りは聞き入れない
願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブ4:3)

ー自分の妻に対しての罪の悔い改めがなく尊敬していない者の祈りは聞き入れない
同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。(1ペトロ3:7)

ー人からの注意を引こうとか、人に興味を持ってもらうために行う祈りは聞き入れない
『だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 』(マタイ6:5)

ーキリストのもとに生まれ直してない者の祈りは聞き入れない
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。(1テモテ 2:5)
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)
あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。(コロサイ1:21)

 

一般的な『引き寄せの法則』では、祈りが聞き入れられる『メカニズム』を教えています。
神は生きている神であって、意思があるので、願いを叶える『メカニズム』ではないのです。

 B、神の約束は新約聖書のなかでイエスキリストの元に来たものにだけ適応されると書いてあります

引き寄せでよく使われる聖句「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイ7:7)これは、キリストの元にきた人に言われている事です。聖書は、その一文を抜き取って利用するためのものではなく、全体を通して、神が私達に伝えたいメッセージを知るためのものです。

ここの箇所はキリストを信じている者に言っていることです。

信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。(マタイ21:22)

イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。』(マルコ9:23)

イエスを信じ、彼の能力を信じるものには、という意味です。
私たちはイエスの中に居ないといけないのです。だから、イエスキリストを信じていない人には、これらの聖句は適用されないので、一般的な『引き寄せの法則』が聖書を引用する事自体が間違っている事なのです。

なぜなら、引き寄せを信じているノンビリーバー(イエスを信じていない人)には、この聖句は適用されないから。

 C、聖書は引き寄せの法則は実際には『罪』として分類している。

引き寄せというメカニズムを『信じる』事になり、つまり、私たち自身を作ったクリエイターである神そのものを信じてはいないので、引き寄せを信じているという事は神の意思に反した事をしている事になります。

神の意思は、神そのものを信じる事だからです。
また、どのように、『引き寄せの法則』を練習するかによって、他の罪も招き入れる事になるので危険な部分があります。
時には、妬みから何かを引き寄せたくなったり、自己満足感のために何かの引き寄せを願う事はそれそのものが罪な事なのです。

そして、『引き寄せの法則』が聖書で禁止している『偶像崇拝』や『魔術』に当たる事になる危険性があるので、注意しなけれななりません

なぜなら、引き寄せの法則を活用する時に、私たちの祈りを叶えるのは『宇宙』(ユニバース)でなり、エネルギーとしての存在である、という認識は、聖書でいう私たちを創造した創造主の神が不在だから。

宇宙は神が作った被造物です。

神が作った被造物を崇める事が偶像崇拝と言われている事で、神が最も忌み嫌う事です。

そして、聖書の中では、神のいろいろな呼び方が書いてありますが、一度も神をユニバース(宇宙)と呼んだ事はありません。

死も生も舌の力に支配される。
舌を愛する者はその実りを食らう。(箴言18:21)

この聖句も引き寄せで引用される事があるもののようですが、この聖句の意味は、私たちの発言する事が何かを創り出すパワーがあるという事を言っているのではなく、私たちの発言する事が他の誰かにとって、
良い実をつける事にもなるし、悪い実をつける事にもなるという事を言っているのです
自分の発言によって、人に滋養を与えることもできるし、人をがっかりさせることもできるという意味です。

癒しをもたらす舌は命の木。
よこしまな舌は気力を砕く。(箴言15:4)

この言葉も私たちの言葉には他の人の心と考えに影響を及ぼすという事を言っているのです。

教えに耳をそむけて聞こうとしない者は
その祈りも忌むべきものと見なされる。
(箴言28:9)

こうもはっきりと、神の教えに耳を傾けないものは、その祈りは忌むべきものと見なされると書いてるのです。

『ニューエイジの引き寄せの教え』では
神はあらゆる所に存在する(汎神論)を展開していて、それらはメカニズムであり、私たちがコントロールできる(自分で自分の世界を自分好みに創造できる)ものとしています。

その引き寄せのメカニズムそのものは実は全くの『嘘』でそんな『法則』はないのだし、それらにハマることで、
私たちが本当の神のもとで平安と恵みを与えられて生きる道から大きく逸れて迷子になったままになってしまうのです。(そして、それが悪霊たちの目的です)

実際、『引き寄せ』で本当の幸せは手に入るのか?

日本にも『引き寄せ』で一時ブレイクしてた有名なハッピーーちゃんって居たじゃないですか?

ご存知の方もいらっしゃると思います。

以前の私は彼女の話も一生懸命聴いていました。本も買った事がありました。
彼女が崇めていたエイブラハムと名乗る宇宙存在(エスターとヒックスがチャネリングしてた)は、本当に素晴らしい愛の存在なのだと、私も信じていました。

宇宙人の存在もその頃の私は信じていたので、彼らが私たちに英知を与えて、私たちの魂の次元をあげようとしてくれているんだ、って信じていました。(宇宙人の嘘についてはこちら

『自分のフィーリングに正直に、自分が自分を大切にしていたら、世界も自分を大切にする。
だから自分が自分の欲求をとことん叶えてあげる。自分が神になる。』

ハッピーちゃんはそれらのことが正しい事だって教えてて、その頃の私も、それが正しい事だと信じていました。
実際、ハッピーちゃんは、その生き方で自分がやりたい事で成功するという『結果』を出しているように見えていました。

クリスチャンになった後、それらの嘘が見えるようになった後、壱岐島にいく機会がありました。

壱岐島ではたくさんの祈りをした旅だったのですが、ミッションの終わりあたりに、宿のおばちゃんが紹介してくれた温泉に行くり事になったのです。

そこは古い施設だけど、湯質の良い温泉でした。温泉に入ると、一人のおばちゃんが入っていました。
『どこからきたの〜何しにきたの〜?』と、色々話しかけてくださったので、色々話ししてて、
『クリスチャンなんです〜』なんて話してたら、

『あら、もしかして、あれなの?ハッピー?』ってそのおばちゃんが聞くのです。

『ええ、ハッピーですよ〜私幸せです!。』
って答えたのだけど、どうも、話が噛み合わない。。

よく聞くと、このおばちゃんは、あの、『ハッピーちゃん』のことを言ってるんだ、という事に気が付きました。

確かに、ハッピーちゃんは壱岐島に慕ってる女将さんがいるとかで、何度も壱岐島に行ってたな、って思い出します。
そのおばちゃんに、話を聞くと、ハッピーちゃんが開催するイベントで、その温泉の2階部分を大勢のイベント客と共に使うという事で、ハッピーちゃんはブッキングしてたけど、それが台風だか何かで、突然ドタキャンしてきて、温泉としては、大迷惑を被ったとの話。
島では、迷惑を被った事で、ハッピーちゃんのことを
よく思ってない人が多いんだって話でした。。。

なぜ私がその話をその場所で聞く機会を与えられたのか。。。

以前の私は、まさに自分中心の『自分のフィーリングで決める』ということをしていたことで、
自分が成功しているように見えても、
その裏には、迷惑をする人もいたのだろうな、ということを改めて知るためだったのだって思います。

『自分』だけが幸せで、『幸せ』と思えるのなら、それは悪霊の導きのまま進む事になるのだって思います。自分が世界をクリエイトできる事が大事なのではないのです。その誘惑はエデンの園でサタンが蛇に化けてエバを誘惑した『神のようになれる』という誘惑と同じです。

本当の愛って神であるイエスが人として受肉して示した愛が最高の愛なのだって思います。それは、人を神のもとに救うために、人の罪を背負って十字架にかかって死ぬというイエスのそして神の愛です。それは、到底、人間である私には及びもつかない愛です。
久しぶりに、ハッピーちゃんの発信を見てみました。とても大きな活動をされている様子。だけど、やっぱり、、、、

MOMENT
今この瞬間
GOD


MOMED

WE ARE MOMED!!!!
わたしたちは今この瞬間、神である

こんなふうに、『自分=神』という錯覚を起こさせるもの。その後ろには何が糸を引いているのか、聖書を読んでいたら、目が覚めることであっても、サタンの誘惑はとっても巧妙なので、現実世界の中の価値観では、気がつくのはとてもむずかしい事なのです。
でも、私=神として、突き進んでいくことを神様は最も嫌います。

また、引き寄せの法則が広まるきっかけとなった本、『ザ シークレット』の教えの指導者の ジェームス アーサー レイという方は、
断食や蒸気サウナを行う高額のスピリチュアルイベントを主催して3人死亡し、逮捕されています。
そのイベントは1週間100万円の参加費だったということです。。。

私が、そのニューエイジ的スピリチュアルの嘘に騙されて、信じ切ってしまっていたという過去があるので、
今現在その中にハマっている人に対して、ものすごく歯痒い思いがします。
一般的に言われている『引き寄せの法則』それは、根底に流れているものはとても危険な甘い罠なのかもしれません。

たった一人にでも良いから、今のニューエイジのスピリチュアルから目を覚まして、本当の神様に繋がれる方がいたら良いな、という思いでこのブログの記事を書いています。

だって、、、

一般的に言われている引き寄せは『嘘』なのです。

本当の神様につながって、内側から聖霊に満たされて、神の前で正しい人になっていき、そして、祈る、という事で、その祈りは神の意思によって与えられることもある、(神の意思で与えられないこともある)というのが聖書の教えです。

なぜ神の前に正しい人になっても、祈りに関して答えられない事があるのか、
それは、神が超越した方だから、私たちには理解できないこともあるのです。
でも、神は親が子供のために最善を考えるように、超越した視点から、
私たちへの最善をわかってそのことをしてくださる方だという絶対的な信頼を持つ事ができます。

今回の記事を書くにあたって、以前紹介したことのあるSteven Bancarzの『引き寄せを暴く』の動画(こちら)を参考にしています。

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巷の引き寄せではなく、本当の平安をもって自分の人生をチャレンジしていくために提供しています。これは、機能不全家族で育って、自己価値を持てなくて、色々な思考、感情に苦しんでいる方に向けて作ったプログラムです。
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ニューエイジ(スピリチュアル)はサタン崇拝

『ニューエイジ』って言葉は、どれくらい市民権を得ている言葉なのかな。

私は、イエスキリストに出会った時に、それまで自分が関わっていたスピリチュアルな世界は、ニューエイジと言われるアメリカで起こった物が日本に形や名前を変えて入ってきた物たちだったんだ、という事実を知るようになりました。そして、そのニューエイジは元々サタン崇拝が元になっているというのだということも知り衝撃を受けました。

私に関して言うと、過去10年以上『聖なる存在』との霊的な交わりを求めて、ニューエイジ(スピリチュアルな事)に走ってしまってました。
そのヒーリングの中でコンタクト取れている存在は、素晴らしい、良い霊的な存在なのだ、と信じ込んでいました。

イエスキリストに出会い、聖霊に導かれてクリスチャンになって、ニューエイジは本当にクリスチャンに似せて作られて居るから、迷い込んでしまうんだ、と、納得したのだけど、この2つは、とても類似してるけど決定的に違う事がある、という事もわかってきました。

ニューエイジとクリスチャンはどちらも見えない物との交流を霊的に行い、
または、示されるサインをメタファーとして読み解いて、見えない物との意思疎通を図る。

でも、ニューエイジとクリスチャンは決定的に違う。

決定的に違う点3つ。
1.コンタクトを取る相手は何ものか?
ニューエイジは、この世に存在する霊的な物で良い感じがする物となら、何でも出会い、交流する。
その、良い感じ、は自分の主観に任されてる。
クリスチャンは、唯一のイエスキリストからつながる天に居る全知全能の神様とコンタクトを取る。
それが間違った霊的なものではないのか、を、とても吟味する。

自分の感覚だけで、それを判断しようとしない。なぜなら、私たちは惑わされる存在だから。真のクリスチャンは天使に祈ることもない。それは聖書的ではないから。

 

2.与えられた啓示を吟味するか?
ニューエイジは、コンタクトを取った相手から、与えられる言葉、イメージをそのまま受け取り、信じる。

クリスチャンは、コンタクトを取った相手から、与えられる言葉、イメージが聖書に矛盾する物でないかを吟味して、コンタクト取った相手が本当に神様なのか、それとも、悪霊が美しいものに化けてただけなのか、を吟味する。

 

3.導き手
ニューエイジは自分が祈り、瞑想する。
クリスチャンは、祈る時も、神につながるよう瞑想する時も、聖霊に導いてもらうようお願いする。全てが聖霊さまの導きによって行われる。

自分を主体にして祈らない。

ニューエイジの考えでは、『自分』=神です。 
自分を神格化させていくように自分の内側の真理につながろうとしていきます。
でも、、、『自分』って、神様と分断された状態では、自分の奥の奥まで覗き込んで突き詰めても、神様が持つ『無条件の愛』は持っていないことに気がつきます。。。

聖書には、     

神様を愛しなさい
自分を愛するように隣人を愛しなさい

それ以外の掟もあるけど、それらはすべてこと2つに集約されると。

でも、自分=神 だと、本当に、神様に対して、謙虚になれないのです。『自分こそ!!!』って、自分を最上位にしようとする頑なな心に縛られるから、神様の前に自分をへりくだらせる事ができないのです。(実際、天から追放されたサタンは、神様のようになりたいと思って神に反逆した天使だったのです。)

世界を作った、私たちを一人一人デザインした全知全能の『神』の前でへりくだれないってどんだけ〜〜って感じですよね。

ニューエイジの考えで進んでいくと、自分=神なので、どんどん高慢になってしまうのです。
ある人は、ニューエイジ(ヒーリング、チャネリング、占い、瞑想)を教える事で、高額なお金をチャージするようになります。
そして、それはエネルギーの循環だから、高いお金を要求するのは、いい事なのだ、と信じ込んでしまいます。(以前の私もそうでした)

結局、『この世の神』と言われる、サタン(悪魔)に繋がるヒーリングをしているので、サタンの考え方がいい事なのだ、
と信じ込むように持っていかれてしまうのです。

本当の神様のために生きることをはじめると、自分がどんなに間違っていたのか、と、神様に対して、深い悔い改めが起こり始めます。そうやって、神様は、私たちの内面をどんどん浄化していってくれるのです。
自分が浄化されてくると、神様とのつながりがますます強くなっていき、霊的な視覚が上がってきます。

そして、実は、『この世』的な成功とは違うところに大きな喜びがあることに目が覚め始めます。
神様と関係を持てる事、神様が喜ぶ事、それらが自分にとっても大きな喜びになるのです。

もちろん、生きていくためには、食べていくためには『お金』って必要です。

聖書にこう書いてあります。

だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。……あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:25、32〜34)

また、こうも書いてあります。

空の鳥を見なさい。食べ物の心配をしていますか。種をまいたり、刈り取ったり、倉庫にため込んだりしていますか。そんなことをしなくても、天の父は鳥を養っておられるでしょう。まして、あなたがたは天の父にとって鳥よりはるかに価値があるのです。(マタイ6:26)

つまり、日々、神様の国がこの世に実現されるように祈って、自分のやるべきことをやる、そうすれば、心配はいらないんだよ、と言う事が書いてあるのです。神様だって、今のこの世の中で、お金が必要ということはわかっていらっしゃいます。
だから、必要な事にはそのお金は用意されるのです。
ただし、『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』と書いてあるように、
神の国と、その義を第一に求める自分の心の姿勢がとてもとても大事になってきます。

そうなのです。
だから、日々、神様が何を求めているんだろう?と神が求めている事を知ろうとする事、つまり、神とコミュニケーションをとる時間(デボーション時間)が人生において、とても大切になってくるのです。

そして、そのデボーションの時に、神が自分に語る事、それが本当に神の言葉なのか、悪霊が神になりすまして語りかけているのかを知るために、私たちは、聖書の言葉という武器を持って悪霊の言葉は見分けていかなければならないのです。

ニューエイジの考えで進んでいく事は、本当に危険な事だな、と思っています。
なぜなら
1、自分が高慢になり、本当の神様に出会えない
2、お金が根底にある価値判断になる
3、最終的な『命』に繋がれない
4、一時的な癒しを経験しながら、でも、根本的な癒しには繋がらず、この世的に成功して『お金持ち』になったとしても、心に平安が持てない。
5、人がどれだけ自己実現したかによって人の価値付けをしてしまう

神様に愛されるイコール『お金持ちになる』じゃないこともあります。(神様からはいろいろな形での祝福があります)
イエスキリストは、お金なんて出そうと思えば、いくらでも出せたけど、お金に執着せず生きる姿勢を見せました。

そして、お金に執着している青年に

『もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」
(マタイ19:21)

と言われました。この青年は、神様よりもお金を愛していたので、悲しい顔をして立ち去るのです。
執着している物、神様は、それを手放すように言われます。

手放す事は、怖いかも知れないけど、自分が神様よりも、それに執着しているのだとしたら、そして、執着する事で、『この世の神』(サタン)を拝んでいる事になるのだとしたら、私たちは、神様じゃなくて、サタンの支配下に入ってしまうのです。それを分かってて、『イエスは神様の義を一番に求めなさい』と言ってるんです。

神様が神ご自身を崇めさない、神を愛しなさいっていうのは、神様が崇められてホクホクしたいからなんかじゃないのです。
それ以外のもの『自分』だったり、『お金』だったりを崇める私たちになった時、私たちは、悪魔の策略にハマってる事になるからなのです。
つまり、神を愛しなさいというのは、私たちが『悪魔』の策略にはまらないため、つまり、神様の私たちへの『愛』でしかないのです。

以下の動画は、スピリチュアル界で大成功を収めていた、Steven Bancarz。本人もスピリチュアルを極め、それを記事にして、ウェブサイトも一日25万PV あり、広告収入も莫大でした。
そんな彼は、成功を勝ち取り、スピリチュアルな鍛錬を積んでいたのに、心の中の闇が吹き出します。
彼にとって、イエスキリストはいつも視界には入っている存在でした。でも、スピリチュアルの世界で言われている、神とはエネルギーであり、私たち自身が神である、と言われている概念の中で、イエスがどこにフィットするのか、よく分からなかったのです。でも、イエスは強引ではないので、スティーブ側の準備ができて、彼自身がイエスを受け入れるのを根気よく待っていたのでした。
彼の証言は何度聞いても、感動します。https://www.youtube.com/watch?v=at4uXin9LXA

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本当の神様と2人三脚で歩んでいく人生に。
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また、
『ただイエスキリストについていくってどういうこと?』『聖霊のバプテスマとは?』など、一度話を聞いてみたい、という方にもzoomでお話ししています。
是非、ご連絡ください。mentalbeautylab@gmail.com

今年は花粉症が出ていない。その訳は?

あれ、今年って、花粉飛んでないのかな。。。そう不意に気がついたのは、もう3月も終わりになってから。
確か、去年は、この時期ズルズルで、病院でも何の花粉にアレルギー起こしているのか検査してもらったりして、夏前までは、治らないかもね〜〜なんて言われてたのに。だから、分子栄養学の栄養療法もせっせと勉強して、一時期は、いろいろな種類のサプリも取っていました。

そうそう、だから、このゴールデンターメリックの記事 も書いたりしてた訳で。(記録を見ると、去年の3月前半に書いた記事でした。もう、あの頃、限界に辛かった!!)

6月に洗礼を受けたのだけど、その頃には、花粉症的な症状はもう治っていたので、アメリ花粉症に関して、比較することが今までできていなかったのですが、今年の春は明らかに違う!
花粉症が起こらない!花粉飛ばなかったの?今年。。。ってくらい。

特に、アレルギーのことを考えたサプリを入れていたわけでもなく、なにが去年までと大きく違うか?を考えると、自分の生活に、聖書、神様の存在、そして祈りが入ったこと。

アレルギーのトリガーになる、花粉とか、埃、とか、ケムトレイルとか、そういう害的な物理的な何かってのは外の世界にもちろん変わらずあるけど、それに対して、自分の体がどう反応していくか、が変わるのです。

分子栄養学の講義でさんざん先生方がおっしゃるのは、「サプリが効くか、病気が治るか、はその人のストレス状態が大きく影響する、考えグセが脳を疲れさせるパターンの人の場合は、どう良いサプリを摂ったところで、その結果がでない。」と。

スピリチュアルなヒーラーをやっていた過去何年もの間には、どうやったって、改善しなかったことなのにね。

心が真の平安を得たことで、しこりのようなストレスから開放されたことで、このような結果にもつながったのかな、と思っています。(その辺りについては、メンタルビューティーセラピーでお伝えしています。)