心のホリスティック

イエス様との半年を振り返って

イエス様との半年を振り返って。

12月も終わろうとしています。2020年は多くの人にとって、自分を取り巻く世界がこんなに変わることがあるなんて、と考えるきっかけになった年だったと思います。

私にとっての2020年は記念すべき激動の1年となりました。

今年初め、関わっていたコンサルを辞め、長崎に引っ越し、コロナが始まり、生きているこの世界がどれだけ嘘にまみれているのかに目覚め、自分の中の嘘や罪にも気がつき始め、イエス様に引かれ始め、The Last Reformationの映画に出会い、私がしたいのはこれだと思い、洗礼を受け、イエス様の弟子活動をキックスタートするためにアメリカに行きました。
そして、イエス様の弟子活動をスタートしました。

元々のクライアントさんに自宅のお風呂で洗礼をしました。彼女は、悪霊追い出しも起こり、異言でも話始めました。

かと言って、たった半年ですが、順調に信仰生活が続いてきたわけではありません。

癒しを求めて(ある意味、自分の癒しのために)信仰生活をスタートさせた私は、聖書の世界を知るうちに、その完璧さに驚くと同時に、この世的な喜びにサタンの策略を見る様になって、ああクリスチャンにならない頃のほうが楽だった、、、などと信仰がぐらつきそうになる時期も経験しました。

その頃の私はクリスチャン生活が、単なる、あれだめ、これダメと言う様に、自分の努力でやるものみたいに思えてて、楽しめてなくって、今思うと、それは全てのクリスチャンが通るであろう、荒野だったのだけど、その頃の私は、イエス様の声をどの様に聞けばいいのかわからなくて、本当に荒野を彷徨っている感じでした。

でも、そんな中でも、聖書からは離れずに、時間があれば聖書に関する学びを続けていました。家事をするときにも、畑仕事をするときにも、聖書を聞いたりしていました。

そんな中、壱岐島のミッションに呼ばれます。
呼ばれたときには、私なんかが呼ばれて良いんだろうか?と、自問自答。
街角に行って、伝道することもできていないし、イエス様のことをもっとSNSでシェアしたくても、なんかできていない。。
でも、壱岐島ミッションへの祈りのグループミーティングの後に、私の中で打ち破りが起こり、SNSでシェアする事に対して抵抗がなくなったのでした。

壱岐島のミッションは、壱岐島に置かれている呪いに対しての打ち破りに祈りをしに行くと言うミッションでした。神が働かれる『現場』を見せられると言う経験を沢山した私は、この壱岐島ミッションで神は実在すること、イエス様が本当に神様の子であり、今も生きてて働いておられること、まさに聖書通りなのだ、と言うことを信じる様になりました。
目が見えなくなった人を祈り、(その方の視力は70%回復しました!)

壱岐島から帰ってきた直後、母親を洗礼し、母と私の関係が劇的に変わり、愛に満ちたものになりました。

そして、今回、前回に1記事だけ載せていたイエス様の弟子になったと言う報告ブログを読んでくださった方が連絡してきてくださって、zoomで他のビリーバーと共に、その方に祈り、悪霊の追い出しをを行いました。
最後に聖霊様を受けて、聖霊様に感動され、水の洗礼も受けたい、とおっしゃいました。
それで急遽昨日は浜松に向かい、その方の洗礼を行ってきました。

神様の計画は完璧です。
昨日しか時間が取れないな、と思っていた私。
そしたら、クリスチャン兄弟も、洗礼を受ける方も、予定が合い、洗礼するバスタブも主が用意してくださり、
解放の起こる水のバプテスマになりました。
その後、異言を賜る様に祈った後、その方は異言も話す様になりました。

洗礼が終わり、皆で食事しましょう、と外に出たとき、空には何百という鳥たちが空を旋回してて、あまりの光景に驚いて見ていたら、目の前の一本の木に一斉にその鳥たちが降りて来てとまり、思い思いにさえずり始めました。そして、一緒に洗礼のために福岡から駆けつけてくれたスティーブはなんとその木の前で、2ヶ月前に神を賛美して歌っていた、その木に鳥たちはとまったのでした。

クリスチャンになって、聖霊様の指示で動くことが多くなったのだけど、その指示は、自分の想定を超えることが多いです。自分の予定では〜って思ってると、それを超えることが神の意思なのだ、と言う事にはっと気がつかされて、そのたびに、神様の意思の通りに動くことを学ばせてもらっている感じです。
でも、そうやって、神様の意思で動いたときには、本当に学びと祝福に満たされて、印と不思議を見せてくださり、神様が臨済していることを目でわかる形で示してくださいます。

自分が洗礼を受けたのが6月21日だったので、2020年の後半半年を前年の起業家グループとハワイ行って、イケイケ気分になってた(恥ずかしい)自分と比べると、もはや違う人物の様に物凄い変わりようだな、と、思います。

元々、スピリチュアルな分野を仕事にしていて、自分を本当のスピリチュアルだと思っていました。

でも、今、こうして、リアルに、イエス様と繋がり、聖霊様に導かれて生きるリアルなスピリチュアルな生き方をイエス様の弟子活動を精力的にしている兄弟たちから学び、それらがどんなものかを知ってくると、
過去、自分を『スピリチュアル』と思い込んでいた私は、なんとまあエセスピリチュアルだったことか、と恥ずかしさで一杯になります。

『自己実現』とか言っていた時点で、もう、それは、『この世の神』つまり、聖書でいわれているサタン(悪魔)にいい具合に操られていただけなのでした。

イエス様の弟子活動を通して、聖霊様の働きで動くということは、
世が俗に言う『自分』がどうしたいか?が大切なのではなくて、いや、それは逆に打ち砕かれるべき『肉』の欲のものであって、
『神様がどうしたいか?』
それに私たちは従うことが大切なのだ、ってことがよく分かってきました。
(→1年前の私だったら、そんなこと聞こうものなら、『はあ?!』って怒りで反抗したと思う。恥)

自分の内側の魂にこそ、答えがある、ってずーっと思っていました。

と言うか、信じていました。

だって、私も自分のスピリチュアルの先生たちから、そう習ったのですから。
そして、その先生たちも、またその師にそうならったことでしょう。

でも、その教えはどこから始まったことなのか、を紐解いて行ってみると、恐ろしいところにつながっていきます。
それは本当に間違った教えであり、危険な教えであり、真理から私達をズレさせてしまうことなのだ、と、知ってしまい、本当に心が悶え苦しむ思いがしました。

でも、どうりで、私は自分を癒しても癒しても、心からネガティブなものが沸き起こるはずだったのです。

そして、本当の平安に満たされることなく、いつも仕事しなきゃ、と、焦っていたり、もっとお金稼がなきゃ、と焦ったりしていたのでした。

自分を満たそう、と、『ご自愛』を実践するけど、人に優しくできるのなんて一瞬で、またすぐに、飢え渇きがやってくる。
私はいつ、心から満たされる時が来るのか、それとも、人って満たされ切ることはないのだろうか?と、自分がやっているヒーリングにも疑問を抱き始めました。

真実の神様とつながっていない状態で自分に集中し、『自分』が何を求めているのか、自分の内側に聞き続け、自分を癒したところで、短期間の癒し的なこと、『心地いい』は経験するのだけど、本当の真の癒しには絶対つながらない。

自分の内側は底無し沼なだけだし、それでも何かを求めてはいるから、間違った『嘘』の神に操られてしまう、と言う事につながっていきます。

結局、
自分に心からの平安があるかどうか、
自分はより良い人間になっていっていってるのか?
自分の『良心』に忠実に生きる自分になってきているのか、
それとも、どんどん自己中心的な自分になってきているのか、

と言う(自分が作りだす果実)によって、自分が正しい神様につながっているのか、
間違った神様(サタン)を本当の神様と思ってしまっているのかがわかるのかもしれません。

私は、長崎に引っ越してくる前、京都でサロンを持ってて、ヒーリングに明け暮れていた頃、自分の心の底無沼は見つめる必要を感じてなかった。
だから、私にとって、長崎に引っ越してきての一連の私にとっての苦しい出来事は、真実に立ち返るための神様からの心からのギフトだったと真剣に感謝しています。

『イエスキリストだけが道である』と聖書には書いてあって、
それをクリスチャンじゃない人は『なんて心の狭い神なの!それでも神なの!』と軽蔑するのだけど、
それは、なぜイエス様はそう言ったのか?をちゃんと分かってなかったりするだけなのです。

私たちが『頑張っても』罪を犯してしまう自分であると言う事実は、
実は自分を真剣に見つめてみたことがある人は気がつくと思うのです。

嘘を一切ついたことがない、
人を妬んだことがない、
人の不幸を喜んだことがない、
小さな盗みを働いたことがない、
誰かを悪く陰口を言ったことがない、
心の中ででも、異性に対して、好色を抱いたことが一切ない

心のどこかで、ほんの些細な『良心が痛む』こと、
それが私たちが罪を犯している証拠なのです。

(私は、イエス様に出会う前にはその良心がどんどん鈍くなっていってて、良心が痛むことも無視できる状態になっていたので、末期状態でした。)

間違った神様につながってしまってた私は、良心が痛むことでさえ、『自分を大切にする』と言う名目で、それはやっていいことなんだ、と納得させて行ってました。こうやって、私の悪は満ちて行ってました。

真の神様が私たちに『良心』を生まれつき与えたのです。

私たち人間には、自分の努力で神様が規定しているそれらの罪を犯さないって『無理』なのです。。。
それはなぜ?
私たちのなかに罪の性質が入ってしまっていると書いてある、聖書が真実なんだ、と納得するしかないわけなのです。
私たちは、入ってしまっている罪の性質を脈々と受け継いでしまっているのだと納得するしかない。

アダムとエバが、エデンの園で神との約束を破ってしまった時、神様が『食べたら死ぬから食べてはいけない』といった知恵の実を食べてしまった時、私たちは実際2つの面で死んでしまったのです。
一つは霊的な死。
もう一つは肉体の死。

霊的に死んだ私たちは、即座に神と繋がれない存在になってしまいました。
神様との交わりのない、霊を持つ存在になってしまったのです。

肉体の死は遅れてやってきました。

それでも、エデンから出されてすぐには、まだ人は、何百年も生きていたのでしたが、そのうち、神様は人は120歳で死ぬことを決めました。(今は、サタンの働きで、人は120年も生きれない状態ですね。。)

つまり、

その罪の性質を受け継いでいる全ての人間は、霊が死んだ状態で生まれてきて、そもそも、神様とつながれない存在のまま、この世を牛耳ってる(この世の神と呼ばれる)悪魔の支配下の中で生きる事になっているのです。

だって、神様は完全なものであって、完全に正しいものだから、罪の性質があるものとは一致した周波数になれないのです。同じ領域に介在することができないのです。
神の領域と私たちの霊の領域が一致できないのです。

でも、そのままだったら、人は皆自分を見失ったまま、死後に神のいない永遠へと行ってしまう事になる。

だから、その救済措置として、神であるイエスを人間として下ろして、その完璧なものに私も含め、すべての人の罪を被せて生贄にしたのです。
イエスは人間を救うために生贄になってくれた唯一の神様なのです。

他に、私たちのために生贄になってくれた神様って言われる存在はいるのでしょうか?実際に、人間になって、すべての痛み、苦しみ、辱めに耐えて、死んでいかれた神様はイエス様の他にいるのでしょうか?

あなたたち人間には、罪の性質があるよ、だから、繋がれないんだよ!
でもあなたたちは私が創造した愛するもの、本当に繋がりたいから、子供の存在の神イエスをあなたたち人間のために人間の身にして殺すよ、だから、あなたも私の計画に乗ると言ってください。

私はそれをやり遂げます、だから、あなたはあなたの意思で私がやり遂げたことを受け入れる選択をしてください。

私の送る霊を受け入れて受け入れてください。
そうしたら、その霊があなたをどんどん浄化していきます。
だから、どんどん繋がれる様になります。
さあ、繋がり直しましょう。
イエスがやってくれたことを受け入れる、と言ってください。
私とつながってください、私はあなたを導きます。
あなたに命を与えます。。。

そう手を伸ばしてくれている慈悲深い神様は他にいるのでしょうか?

神様は実際に、そのことを実行されました。
それは歴史家たちも認めている事実です。
そう、真実の神様は手を伸ばしてくれてるのです。そして、私たちが手を伸ばしてその手を繋ぐのを忍耐して待っているのです。

その神様の計画に乗ります!
イエス様に私の罪を被ってもらいます。と、すべての人に『自分の意思』でその神の愛を選択して欲しいのです。

だから、こうやって、神様から導かれ、
背中を押されているイエス様の弟子たちは、
2020年前にイエスが救世主としてこの地上に降りてきて当時のイエス様の弟子たちに伝えた「神と私たちの新契約」つまり『福音』を伝えて回っているのです。
福音とは、イエスを救世主にして私たちの罪を帳消しにする神様の計画のこと。

神様は、私たち一人一人をデザインして創って、何をこの子にはさせたいか、までプランしていらっしゃいます。
どの様に人地一人が動いたら、神の国はこの地球は素晴らしいところになるのか、を神様は完璧に分かっていらっしゃいます。

私たちの生も死もコントロールできる、全知全能のお方です。

神様には、気持ちもあるし、知性もあるし、考えもあるし、感情もあります。

そして、神様は遠い、ユニバースとかの『エネルギー』の存在なのではなくて、
直接私たちとコミュニケーションされるもっとリアルな存在です。

実際イエス様は今でも生きていて、コミュニケーションをとってくださる方で、コミュニケーションが取れると、親密性を感じます。
聖霊様に満たされると、その臨在に空気がすごく重厚になり、実際自分がどの次元にいるのかわからない感覚になります。

そして、聖書を読めば読むほど、この世界に起こっていることが紐解けていく経験をしました。
そして、聖書の言葉が単なる言語としてではなく、『生きた言葉』として私の中に入ってくる、と言う経験が起こりました。

聖会で預言の賜物があると言われている方から言われた言葉が、分からなくて、イエス様に直接祈っていたら、イエス様が私に伝えたい本当の意味をイエス様から解き明かしてもらう経験をしました。

本当に、起こったひとつひとつのことを振り返って、この2020年後半はなんと恵に溢れた時になったのだろう、と、主イエスに感謝でいっぱいになります。

このコロナは、まだ序の口だと分析している人たちも多くいます。

聖書を読むと、世界は終末に終末に向かって行ってる事が確実です。

私が生きている間に、イエス様が再臨するのか、それとも、私が死んだ後に、イエス様の再臨があるのか、私にはわかりません。でも、多くの人が夢を見始めて、幻を見させられ始めている様に、イエス様が再臨してくるその時は、もうそんなに遠くは無いのかもしれません。
でも、再臨の前には、聖書で書かれている様に、本当にひどい事が世界に起こります。
聖書は、宗教の本ではなく、神から私たちに向けた手紙です。
だから、私も、そのことを知って、主が私に求めている働きをさせてください、と切に願っています。

一人でも多くの人が、イエス様につながります様に。
ぜひ祈って見てください。

『イエス様、あなたが本当なら、あなたのことを信じたい。
あなたが本当に私の神なら、私にそれをわからせてください!』と。

主は誠実な方なので、必ず、あなたの祈りに答えてくださいます。

(トップの写真は、今日、見つけたイエス様。
久しぶりに京都に帰省してて、セッションルームを片付けしてて、
そしたら、ずっと使ってたメモ書きがイエス様の絵だったのだ、と気がついたのでした。)