『病気の人はかわいそう』の呪縛

『病気の人はかわいそう』の呪縛

身近な人で、病気の人がいる状態で、『その人になんか申し訳なくて、自分だけが好きなことするのに罪悪感がある。。。』そう感じて、好きなことをやることを制限してしまう人って多いかもしれません。
だって、病気でかわいそうだから。。。。。

でも、それって、本当なのかな?「病気の人は可哀想」っていう信じこみを疑ってみた方がいいのです。



病気の人はかわいそう、っていうレッテル

病気の人はかわいそう、っていうレッテルを貼った時点で、その人は、あなたにとって『かわいそうな人』になってしまう。

誰かをかわいそうな人だって思う側は”親切”だと大きな勘違いができるけど、
もし、自分が『かわいそうな人だね』って言われたと仮定したら、それがどんな感じがすることなのか、わかると思う。

『かわいそうな人』というレッテルは、その人の力を奪うもの。
かわいそうって思われたり、レッテル貼られると、『あなたには力がない』って言われている気になるのです。

かわいそうってレッテルを張るのではなくて、、、

かわいそうってレッテルを張るのではなくて、『どんな境遇にいる人だって、その人なりの力の発揮の仕方がある』、って考え方を選択したいって思います。今、その人は病気っていうチャレンジをしているだけだと。

だって、その考え方の方が愛=魂が求める選択だって感じるから。


かわいそうって思われたい?

『かわいそうって思われたい』っていうのがあると、『かわいそうな人』を演じるようになる。そして、病気なのに優しくしてくれなかった、気にかけてくれなかった、って『相手』を悪者にしようとする。

そもそも、『その満たされたい』、『相手に大事にされたい』思いは、相手に向けるものではなくて、自分が自分を大事にしていないことの自分への不満なのに。

でも、面白いことに、あなたは可哀想でもなんでもないよ、っていう断固たる態度、信念で可哀想を演じる人に接して、その人だって力を持っている存在なんだ、って信じてあげた上で好きに生きる背中を見せたら、
相手も可哀想を選択する必要ないんだ、可哀想な被害者な人生なんてまっぴらだ!!って気がつくようになる。

 

結局は、自分が相手をどう思っているのか

結局は、自分が相手をどう思っているのか、相手に希望を見出しているのか、それとも、ダメ出ししているのか、で自分を取り巻く人間関係も変わってくるんだって思います。

まずは、『病気の人は可哀想』ではなく、その人、その人それぞれの課題があるだけで、みんな自分の課題にチャレンジしながら成長しながら生きているだけなんだ、って理解にするといいのだっておもってます。 

これ、『病気』だけではなくて、『年取ってる』『お金ない』『子供いない』『子供いる』『結婚してる』『結婚してない』『離婚してる』『シングルマザー』などなど、いろんなことに可哀想ってレッテル貼ってないかな?って自分に聞いてみた方がいいなって思っています。

何かに悪いレッテル貼ってると、自分がそうなってしまったらどうしよう!って怖さを持つことになるので、その状態が逆に引き寄せられてきてしまうのです。

そういう状態になったとしても大丈夫、ってニュートラルに思えてて、でも、私はこうでありたいなっていう『こっちが好き!』のエネルギーがあると、自然とスルスルと求める方向に現実は流れていくのです。

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