『ニューエイジ』って言葉は、どれくらい市民権を得ている言葉なのかな。
私は、イエスキリストに出会った時に、それまで自分が関わっていたスピリチュアルな世界は、ニューエイジと言われるアメリカで起こった物が日本に形や名前を変えて入ってきた物たちだったんだ、という事実を知るようになりました。そして、そのニューエイジは元々サタン崇拝が元になっているというのだということも知り衝撃を受けました。
私に関して言うと、過去10年以上『聖なる存在』との霊的な交わりを求めて、ニューエイジ(スピリチュアルな事)に走ってしまってました。
そのヒーリングの中でコンタクト取れている存在は、素晴らしい、良い霊的な存在なのだ、と信じ込んでいました。
イエスキリストに出会い、聖霊に導かれてクリスチャンになって、ニューエイジは本当にクリスチャンに似せて作られて居るから、迷い込んでしまうんだ、と、納得したのだけど、この2つは、とても類似してるけど決定的に違う事がある、という事もわかってきました。
ニューエイジとクリスチャンはどちらも見えない物との交流を霊的に行い、
または、示されるサインをメタファーとして読み解いて、見えない物との意思疎通を図る。
でも、ニューエイジとクリスチャンは決定的に違う。
自分の感覚だけで、それを判断しようとしない。なぜなら、私たちは惑わされる存在だから。真のクリスチャンは天使に祈ることもない。それは聖書的ではないから。
クリスチャンは、コンタクトを取った相手から、与えられる言葉、イメージが聖書に矛盾する物でないかを吟味して、コンタクト取った相手が本当に神様なのか、それとも、悪霊が美しいものに化けてただけなのか、を吟味する。
自分を主体にして祈らない。
ニューエイジの考えでは、『自分』=神です。
自分を神格化させていくように自分の内側の真理につながろうとしていきます。
でも、、、『自分』って、神様と分断された状態では、自分の奥の奥まで覗き込んで突き詰めても、神様が持つ『無条件の愛』は持っていないことに気がつきます。。。
聖書には、
神様を愛しなさい
自分を愛するように隣人を愛しなさい
それ以外の掟もあるけど、それらはすべてこと2つに集約されると。
でも、自分=神 だと、本当に、神様に対して、謙虚になれないのです。『自分こそ!!!』って、自分を最上位にしようとする頑なな心に縛られるから、神様の前に自分をへりくだらせる事ができないのです。(実際、天から追放されたサタンは、神様のようになりたいと思って神に反逆した天使だったのです。)
世界を作った、私たちを一人一人デザインした全知全能の『神』の前でへりくだれないってどんだけ〜〜って感じですよね。
ニューエイジの考えで進んでいくと、自分=神なので、どんどん高慢になってしまうのです。
ある人は、ニューエイジ(ヒーリング、チャネリング、占い、瞑想)を教える事で、高額なお金をチャージするようになります。
そして、それはエネルギーの循環だから、高いお金を要求するのは、いい事なのだ、と信じ込んでしまいます。(以前の私もそうでした)
結局、『この世の神』と言われる、サタン(悪魔)に繋がるヒーリングをしているので、サタンの考え方がいい事なのだ、
と信じ込むように持っていかれてしまうのです。
本当の神様のために生きることをはじめると、自分がどんなに間違っていたのか、と、神様に対して、深い悔い改めが起こり始めます。そうやって、神様は、私たちの内面をどんどん浄化していってくれるのです。
自分が浄化されてくると、神様とのつながりがますます強くなっていき、霊的な視覚が上がってきます。
そして、実は、『この世』的な成功とは違うところに大きな喜びがあることに目が覚め始めます。
神様と関係を持てる事、神様が喜ぶ事、それらが自分にとっても大きな喜びになるのです。
もちろん、生きていくためには、食べていくためには『お金』って必要です。
聖書にこう書いてあります。
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。……あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:25、32〜34)
また、こうも書いてあります。
空の鳥を見なさい。食べ物の心配をしていますか。種をまいたり、刈り取ったり、倉庫にため込んだりしていますか。そんなことをしなくても、天の父は鳥を養っておられるでしょう。まして、あなたがたは天の父にとって鳥よりはるかに価値があるのです。(マタイ6:26)
つまり、日々、神様の国がこの世に実現されるように祈って、自分のやるべきことをやる、そうすれば、心配はいらないんだよ、と言う事が書いてあるのです。神様だって、今のこの世の中で、お金が必要ということはわかっていらっしゃいます。
だから、必要な事にはそのお金は用意されるのです。
ただし、『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』と書いてあるように、
神の国と、その義を第一に求める自分の心の姿勢がとてもとても大事になってきます。
そうなのです。
だから、日々、神様が何を求めているんだろう?と神が求めている事を知ろうとする事、つまり、神とコミュニケーションをとる時間(デボーション時間)が人生において、とても大切になってくるのです。
そして、そのデボーションの時に、神が自分に語る事、それが本当に神の言葉なのか、悪霊が神になりすまして語りかけているのかを知るために、私たちは、聖書の言葉という武器を持って悪霊の言葉は見分けていかなければならないのです。
ニューエイジの考えで進んでいく事は、本当に危険な事だな、と思っています。
なぜなら
1、自分が高慢になり、本当の神様に出会えない
2、お金が根底にある価値判断になる
3、最終的な『命』に繋がれない
4、一時的な癒しを経験しながら、でも、根本的な癒しには繋がらず、この世的に成功して『お金持ち』になったとしても、心に平安が持てない。
5、人がどれだけ自己実現したかによって人の価値付けをしてしまう
神様に愛されるイコール『お金持ちになる』じゃないこともあります。(神様からはいろいろな形での祝福があります)
イエスキリストは、お金なんて出そうと思えば、いくらでも出せたけど、お金に執着せず生きる姿勢を見せました。
そして、お金に執着している青年に
『もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」
(マタイ19:21)
と言われました。この青年は、神様よりもお金を愛していたので、悲しい顔をして立ち去るのです。
執着している物、神様は、それを手放すように言われます。
手放す事は、怖いかも知れないけど、自分が神様よりも、それに執着しているのだとしたら、そして、執着する事で、『この世の神』(サタン)を拝んでいる事になるのだとしたら、私たちは、神様じゃなくて、サタンの支配下に入ってしまうのです。それを分かってて、『イエスは神様の義を一番に求めなさい』と言ってるんです。
神様が神ご自身を崇めさない、神を愛しなさいっていうのは、神様が崇められてホクホクしたいからなんかじゃないのです。
それ以外のもの『自分』だったり、『お金』だったりを崇める私たちになった時、私たちは、悪魔の策略にハマってる事になるからなのです。
つまり、神を愛しなさいというのは、私たちが『悪魔』の策略にはまらないため、つまり、神様の私たちへの『愛』でしかないのです。
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