好調から不調の境界線

好調から、不調への境界線ってとってもあやふやで、分りにくいのですよ〜とお伝えしています。

いい状態だったはずなのに、しらず知らずのうちに、気づいたら不調まっただ中になって、そこからどうやったら好調の状態に戻したらいいのか分らなくなる。。
その不調状態がちょっと長く続くと、もう自分は好調の状態になんか戻れないんじゃないかって思えて来る。

不調なのが自分、、みたいな。

どっぷりと不調状態に浸かって、もう不調である事に嫌気がさしたら、さあ、そろそろ、抜け出しましょうー。
抜け出そうと思っても、最初は上手くは行かない。外出しようと思ったら雨が降って来たりとか、テンポよく行かない事があって、なんかなーって思う事が起こっちゃって、
「やっぱ、もうやだ、、」ってくじけそうになる。

 

でもね、そんな時だって、結局は一歩一歩出来ることをやって行くしかないんだと思います。

どうせ過ぎ去る一日ならば、どうせなら投げやりにならずに良い一日を送ろうって、心で決めて、その一日を過ごすしかない。(雨が降ったら、降るべきじゃないのに降ってると受け止めるのではなくて、「そういう事なのねー、今日は外出じゃないのね」と言う風に、起こる事をアンラッキーとかラッキーとかって、分けてしまうのではなく、ただ、そうなのだと受け止めて、前に進む)

一歩進んでみた所で、不調は、まだ不調のままかもしれないけど、それでも、さらに一歩出来ることをやってみる。
それは、磨けずにカビがはえてしまっている風呂場の掃除かもしれないし、整理しようと思っていたけど、出来ていなかったパントリー整理かもしれないし、縫い繕おうって思っていた服の修繕かもしれないし、植えようと思っていた種を植える事かもしれないし、始めようと思っていた英語の勉強をスタートさせる事かもしれない、、、

何か一つだけでも、頑張ってやってみる。そして、次もやってみる。そして、諦めずに次も。。

そうしていくうちに、目の前では以前と同じ出来事が起きているんだけど、その事に対しての自分の捉え方が大きく変わって、ちょっと前までは、「最悪だ」としか思えなかった事に対してまでも、「感謝」の気持ちで見れるようになる瞬間が来る。

何も特に「楽しい事」が起こった訳でもないのに、なんか、しあわせ感があふれて来る。

そうして、実際「幸せ」な事が起こって来る。

不調から、好調に入った時は、こうも分りやすい。と思います。

そう、そして、その好調感を得られたら、それを維持するように自分を見失わないようにしていけたら良いと思います。

自分を見失って、何を感じているかに、蓋をして過ごしていると、気がついたら不調まっただ中になってしまうから、好調感を得られたら、そこの境界線から踏み外さないように、好調な自分を維持して、好調でいられる事に感謝して、また明日もいい一日にしようと心に決めて。

それでもね、私たちは、ずっと好調で居続けることなんて出来ないんだと思います。でも、不調にもなるけど、なるべく早く不調の波から抜け出せる自分でいたら楽。

好調な状態で生きた方が楽しいわけだから。

不調の波があるから、好調になれた時にそうである事を感謝できるし、不調な事から私たちが学べる事はとてつもなく大きい。また人が不調な状態に苦しんでいたらそれに共感する事が出来る。

そう考えると、求める状態って、つまりは不調にならない事ではなく、不調から早く抜け出せるって事なのかな〜ッて思います♪

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